いまだに時々思うのですよ、もし娘が不登校になってすぐの2年生のときに受けた発達検査で「発達障害」と診断されていたらどうなっていたのだろうと。
ヨーコ@発達障害と不登校@yoko_forest数値の凸凹ははっきりしていて、今の私から見たら(当時は発達障害という思い付きは全くなかった)「これは発達凸凹さんだよ。診断してよ」と言いたいところですが、実際は2回目の検査をした4年生でASDと診断されました。発達障害があるとわかったのはエネルギーが尽きて引きこもりになってから。フリースクールどころか一日をやり過ごすのが精一杯だった。 https://t.co/IuYxUjXvZ9
2019/02/22 12:01:35
最初の段階に診断を受けていたら支援級に移ってうまくいっていたかもしれない、デイサービスを利用してみようと思ったかもしれない、完全に心を閉ざす前の娘なら可能性があったかもと思わずにはいられないのです。
もちろん、こんな考えは「たられば」に過ぎないし、考えても詮無いことは百も承知ですが。
それに、障害福祉サービスや発達障害について詳しくなったのは、娘が診断された2年後に自分も診断され、その2年後に幸運にも障害福祉サービスにつながってからですし。
でも実際に診断を受けたときにはすでに娘は家に引きこもっており、支援学級入りは拒否。
私しか受け入れず、家から一歩も出ない生活になっていました。
万が一の時のためにファミリーサポートセンターで事情を話して、いざというときに預かってくれる相手は確保していましたが、きっと娘は行けなかっただろうと思います。
デイサービスも無理だったでしょうね。
それより、私は親を支えるサービスが欲しかったです。
主治医が熱心な方で、私も精神疾患を抱えていることを知ったうえで(私が発達障害と診断されたのは娘のさらに2年後)親子で入院させてくれたり、特別支援学校の訪問指導を利用したり、本当に私の状態が悪くなったときは一時保護も提案してくれました。
一時保護は断り、入院して特別支援学校の訪問指導を利用することを選び、その結果残念ながら娘の心は完全に折れてしまったのですが、それは主治医の責任ではありませんからね。
不適切な指導をする教師はどこにでもいたということです。
あのころ今みたいに週に何回かヘルパーさんが家に入ってくれていたら、どれだけ家に新鮮な風が入ったことでしょう。
疲れ切った私の心と体は癒されたことでしょう。
子どもが不登校になりたての頃って本当に親は混乱するし、精神的にも、肉体的にもボロボロになってしまいます。
私の場合は約1年半くらいひどい状態が続き、「二人で誰も知らないところへ消えてしまいたい」、「一人で死んでしまいたい」とよく考えていました。
娘にもあたってしまい、正直「これは虐待だな」と思ったこともあります。(何とか手はあげなかったけど)
だから、子どもの障害の有無にかかわらず、不登校など親子関係に行き詰ったときに福祉的な目線で親を支えるサービスがあったらいいのにと切に思います。
学校からは教育サポートセンターを紹介されますが、うまくいかない例を多く聞きますし。
あれは学校サイドに立ったものですからね。
不登校対策として政策を立てるのならぜひ検討してもらいたいと思います。