これは3年前のりさに起こった出来事です。
10月
10日(月)
家事をやっていて、昼頃やっと起きてきたりさがろくに昼ごはんを食べないのでキレて、実家に一人で行った。
しばらくすると、りさが実家に飛び込んでくる。
ご飯作る気力なし。
りさ、あまり親しくない子に「なんで学校来ないの」と聞かれてるらしい。
11日(火)
りさ、発作が怖いって。
12日(水)
病院の診察。
支援学校には「やりすぎじゃないですか」と抗議してくれるとのこと。
「新学期になり、生活も校舎もと環境が変わって疲れたのだろう。昼夜逆転は否定はしないが、りさちゃんの場合、精神的不安があるのでそれを取り除いてあげたい。心身のバランスの崩れと喘息の治療のため2週間入院しましょう」ということに。
支援学校はやめて元の小学校に籍を戻すことに。
やっと辞められる!うれしい。
小学校と話し合う。何なら次の学年になるまで行かないという選択もありということに。
15日(土)
りさは一人パジャマのまま実家へ行ってしまった。
父、母、弟を交えてみんなでご飯食べる。
私は、「あの子おかしいねん」と母に言い、帰りに「あんたが起きへんからゆきちゃんにも会われへんな」と言ってしまう。
胸が一日中痛い。もうしんどい。
16日(日)
少年団の親睦会、むっちゃ楽しそうやった。
りさ完徹。いつものこと。自分が寝ると私を起こすのでつらい。
これで支援学校の話はおしまいです。
無事縁が切れてホッとしました。
余談ですが、病院で支援学校の先生に偶然会ったとき見事に無視されました。
まぁ、それが本性だったのでしょう。
上手くいく子には優しいけれど、自分の思うとおりになってくれない子どもにキレる教師のなんと多いことか。
これは学校だけではなく、福祉施設である保育所、介護施設でも見られることではないかなと思いました。
支援学校に入れてしまったのは、現状に耐えられなかった私の弱さのせいでもあります。
他の選択肢を出されていたら、それを選んでいたかもしれない。
もう自分の頭で冷静にりさにとって最善の道を探す力はありませんでした。
なんとかしたい、もっと正直に言うと逃げたい一心で。
そして、また言われるがままにりさを入院させることにしました。
2週間のはずの入院は年末まで続いたのです。
次回からは入院の話をしばらくこういうかたちで連載していきたいと思います。
もちろん、他の話題もはさみながら。
よろしくお願いします。
特別支援学校編
これは3年前のりさに起こった出来事です。
10月
3日(月)
私は、つらいから寝ることしかできない。
りさは学校も遠足もあきらめてしまっている。
4日(火)
支援学校の先生が自宅にくる。
「申し訳ない」「このような前例はない」「担任交代は無理」というばかり。
このままではもともと通っている小学校も支援学校も心配なので、籍は置いたまま、私が病院の先生と対策をたてて、支援学校には改めて連絡することに。
りさはこもって顔出さず。
「明日は学校行く!」と張り切って風呂入ったりしていたが、夜の予定がどんどん遅くなっているぞ。
5日(水)
朝、「やっぱりしんどい」で休む。なんで行きたくないか聞いてみたら、「うんち心配やし、なんかイヤ~って感じ」だそう。
セラピー、行くのを面倒くさがるわりに楽しそう。
朝までゲームして、朝ご飯食べて寝た。
私はじんましんがひどい。
6日(木)
あまり外へ出たがらず。「友達もなんか遊んでくれそうにないし」って。
ルーンファクトリー(ゲーム)の世界のことをよく話し笑う。
7日(金)
昼近くまで寝てゲーム漬け。3時間くらい一人で留守番する。
私は、鬱っぽい。ご飯作るのも「またかよ」と思うし、もうこの子、友達いなくなっていくんじゃないかとか、小学校の先生がプリントをいつも持ってくることも腹たつし、ゆきちゃんももうあかんなとか思っちゃうし。
本人以上にマイナス思考。もう一人にしてくれ、ずっと寝かせてくれって感じ。
8日(土)
夜中、先に力尽きて眠った私に、ずるずると布団を引っ張ってきてかぶせて、ポンポンってして。「お水おいとくで」って。幸せやねぇ。
9日(日)
ゆきちゃんと遊ぶ。
夜発作1回。
あらためて、日記を書き起こしているといかにりさが無理をしていたのか、そして私も疲れ果ててしまっているか、自分事ながら胸が痛くなるようです。
だけど、いまちょうど行けなくなっている子どもたち、そしてその親御さんたちも同じような思いをしているんだなぁと思うと、「つらいよね。無理に元気になろうとしなくていいよ。どうしようもないときもあるよ」と声をかけたくなります。
このころに変に慰められていたら心がバキバキ折れたかもしれません。
この日記は、家計簿の備考欄に書き続けているものですが、これはけっこうおススメ。
あとで読み返して、こういう状態のときもあったんだなとか、こういう風に少しずつ抜け出していったんだなってわかって、あとあと自分の力となります。
子どものつらさ、健気さも突き付けられるので、大事なことを忘れそうになったときにいいかも。
支援学校編は次回あたりで終わります。
これは3年前のりさに起こった出来事です。
9月
26日(月)
りさ熱は下がったし、咳も少しはまし。元気にゲームできるように。
ママ発熱、朝から晩まで食事チンの間以外眠り続ける。
支援学校の先生には、「ママが逮捕される」がこたえたといったのに、、さらに同じことを言ってきたので、「法律違反はしてません」ときっぱり言った。
りさがもう受け付けないし、辞めて元の学校に籍を戻したいと伝えた。
向こうは謝りたいと言っていた。
27日(火)
病院で私の診察。先生に、「お母さんもどーんと構えてられるようになったらなぁ」「関係を切っても引きずったらあかんよ」といわれた。
なんか何もわかってもらえてない感じ。
小児科へ。
ぜんそくと初めて診断される。吸入、薬続けるように。市に認定求めたら十分認められる数値だって。
夜、実家で食べてりさがねてしまって泊まることに。りさはねられへんと起きて起きて泣くし、じいちゃんは4時ごろパンツうんこまみれにして私が洗うし倒れそう。
28日(水)
りさテレビの前でだいぶ遅くに寝た様子。
29日(木)
りさ4時に寝たらしい。昼頃起きる。
Rちゃんが遊びに来る。送っていったが、Rちゃんが忘れ物をして一緒に戻ってきた。下で奥さんと話していると、りさが発作を起こして痰を吐いたとのこと。やはり顔色が白く、咳こみやすい。
小学校の担任の先生と電話で話す。
学校に行けなくなってから、支援学校の先生から「りさちゃんが体にきてるので学校との接触を断ちます。私から連絡するまで働きかけはしないでください」と電話があったそう。
私はこれまでのいきさつを話し、接触していい、支援学校は9月いっぱいで辞めるつもりだといった。
30日(金)
昼頃、支援学校の先生から電話。また関係をやり直せないかと言われるが、「娘も私も無理です。小学校へ帰してください」と何回か繰り返し、やっと納得させる。「お母さんも無理ですか?」と何度も言われ「無理です」といった。
10月
1日(土)
朝は地域の小学生教室でクリームシチューを作ってくる。
いつものごとく待たされていた私、自転車置き場で温かいうちに頂く。
ゆきちゃんと遊ぶ。
テレビ見ながらDSしてるりさを見るとモーレツに腹がたってきて寝た。
2日(日)
朝、用事していたら何かがキレて、りさに一日中グチグチとひどいことをいった。
ランドセルも片付けてしまったし、また死にたくなるし。
2人でいるのはまずいと思って外に出かける。
りさは友達と遊んでいたが、「遠足だけくるのは何ぼ何でもずるいで」っていわれたそう。
夜、りさに謝る。
「学校は行かないし、支援学校も止めるし、これからどうなるんやろうと思ってイライラした」って。
実際、夜は寝ないでゲーム三昧、夜にあれこれ食べたがって昼まで寝てるパターン。
見ている方はたまらない。
振り返ると、私もこの変化にぐらぐらになっています。
親も介護の必要な状態になってしまったし、悪いことは重なるものだという感じ。
今の自分が見ていると、「未練たらたら過ぎるやろ」と突っ込んでしまいますが、そういえるのもこのあと何年も積み重ねてきた日々があるから。
渦中にあるときはどうしようもないことばかりなんですね。
りさ3年生 支援学校20へ→
これは3年前のりさに起こった出来事です。
支援学校に入って17週間目のつづきです。
あの忘れられない日、先生と決別してからのりさは。
9月
21日(水)
台風のため休校。
りさセキがまたひどくなった。
ずーっとゲームしてる。
なんかネット見てたり、家計簿の日記見たり、本人見ていたら「学校行きたくないんだなぁ」と思う。
思い切って休ませるかなぁ。
12時には成長ホルモンピークのため、寝てた方がいいらしいが、あまり締め付けない方がいいかも。
22日(木)
りさ朝6時に寝て12時半に起きる。ゆきちゃん1時過ぎに来る。楽しそうにくっついて遊んでいる。
赤ちゃんのころからかかっている小児科へ。
血液検査にビビって待合まで逃げる。
白血球など異常なし。過敏性が強いのではないかとのこと。吸入器借りることに。
37度2分。帰ってテレビ見てゲームもせずコロッと寝てしまった。
夜中38度6分まで上がり、咳ひどく、吸入しテープ貼る。
23日(金)
りさ38度6分、夜には39度6分に。
夜中ひどい咳発作、体を起こして顔が真っ青、汗をびっしょりかいて吐きそうになっている。涙が出てた。
背中を強くさすったら痰を吐いた。
24日(土)
大発作が治まってからは小さな発作を繰り返して、背中をさすると収まる。
熱は上がったり下がったり。
小児科へまた連れていく。血液検査で、炎症値が上がっていて抗生物質を追加する。
私胃腸炎の予感。
25日(日)
だいぶ元気になってきたが、咳こみはまだ強い。
炊き込みご飯を作ったが、「固い」と言って食べない。
怒って私は昼から夕方まで寝る。
母も炊き込みご飯を偶然持ってきてくれた。ご飯はあんまり食べない。
自分から「お風呂入る」と言ってさっぱりした。ゲームも再開。
41歳になった。もう同じパターンを繰り返して苦しめたくない。
人のために生きる年になったか。でも私も楽しみたい。
もともとぜんそく様気管支炎を患っていたりさ。
だけど、ついに初めての本当のぜんそく発作を起こしてしまいました。
見ていてとても怖かったです。こんなに苦しむなんて。
心が追いつめられると、身体も追いつめられるというのを身を持って見せたりさ。
この発作は私に衝撃を与え、支援学校と学校には都合のいい理由を作ることになります。
長い連載になっていますが、もう終盤ですのでよければお付き合いくださいませ。
りさ3年生 支援学校19へ→
これは3年前のりさに起こった出来事です。
支援学校に入って17週間目です。
9月
19日(月)
近所のスーパーとレンタルショップに行って、「つかれた」と一日家にいる。
りさ、なかなか寝付けず、2時ごろやっと眠ったと思ったら、すくっと立ち上がり、なんか焦ったような顔をしてたような、無表情だったような顔をしていた。
抱いて「大丈夫、寝る時間よ」というとスッと寝た。
20日(火)
私は一生この日を忘れません。
朝、支援学校の先生が家までやってきました。
りさは起きようとしないし、起きても気持ち悪いと泣いていました。
学校へ行かないとわかると、先生はりさを机に座らせました。
りさは私をつかんで「行かんといて」というのでこの日は一緒にいることにしました。
先生は、
・どうして学校へ行かないの
・夜は9時までに風呂も済ませてゲームを止めなさい
・そろそろ一人部屋にしたら
・何でも自分でやりなさい
・大人は大人、子どもは子ども
などとべらべらといった後、
「義務教育に行かないのは法律違反で、りさちゃんが学校へ行かないとママが逮捕されるよ」
といったのです。
あの時の、絶望しきったりさの顔、泣き崩れた顔を私は忘れない。
この話は、りさに関わる全ての人にしていますが、「先生がそんなことをいうなんて信じられない」といわれなかったことはありません。
私も耳を疑いました。
そして、「なんてことをいうんですか。逮捕なんかされるわけないじゃないですか!」といったと思うんですが、正直怒りのあまり記憶があいまいです。
「もうあなたとはやっていけません。お引き取り下さい」といって帰ってもらったと思います。
義務教育というのは、子どもが教育を受ける権利があるということで、心身ともに学校を拒否して苦しんでいる子どもを学校へ無理やり連れていく義務はありませんし、学校で教育を受けたくないと本人が望んでいるなら無理に行く必要はないのです。
長くなりますが、不登校の子どもの権利宣言を転載します。
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不登校の子どもの権利宣言
前文
私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。 しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。 不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。 おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。 多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
一、 教育への権利
私たちには、教育への権利がある。学校へ行く・行かないを自身で決める権利がある。義務教育とは、国や保護者が、すべての子どもに教育を受けられるようにする義務である。子どもが学校に行くことは義務ではない。
二、 学ぶ権利
私たちには、学びたいことを自身に合った方法で学ぶ権利がある。学びとは、私たちの意思で知ることであり他者から強制されるものではない。私たちは、生きていく中で多くのことを学んでいる。
三、 学び・育ちのあり方を選ぶ権利
私たちには、学校、フリースクール、フリースペース、ホームエデュケーション(家で過ごし・学ぶ)など、どのように学び・育つかを選ぶ権利がある。おとなは、学校に行くことが当たり前だという考えを子どもに押し付けないでほしい。
四、 安心して休む権利
私たちには、安心して休む権利がある。おとなは、学校やそのほかの通うべきとされたところに、本人の気持ちに反して行かせるのではなく、家などの安心できる環境で、ゆっくり過ごすことを保障してほしい。
五、 ありのままに生きる権利
私たちは、ひとりひとり違う人間である。おとなは子どもに対して競争に追いたてたり、比較して優劣をつけてはならない。歩む速度や歩む道は自身で決める。
六、 差別を受けない権利
不登校、障がい、成績、能力、年齢、性別、性格、容姿、国籍、家庭事情などを理由とする差別をしてはならない。
例えばおとなは、不登校の子どもと遊ぶと自分の子どもまでもが不登校になるという偏見から、子ども同士の関係に制限を付けないでほしい。
七、 公的な費用による保障を受ける権利
学校外の学び・育ちを選んだ私たちにも、学校に行っている子どもと同じように公的な費用による保障を受ける権利がある。
例えば、フリースクール・フリースペースに所属している、小・中学生と高校生は通学定期券が保障されているが、高校に在籍していない子どもたちには保障されていない。すべての子どもが平等に公的費用を受けられる社会にしてほしい。
八、 暴力から守られ安心して育つ権利
私たちには、不登校を理由にした暴力から守られ、安心して育つ権利がある。おとなは、子どもに対し体罰、虐待、暴力的な入所・入院などのあらゆる暴力をしてはならない。
九、 プライバシーの権利
おとなは私たちのプライバシーを侵害してはならない。
例えば、学校に行くよう説得するために、教師が家に勝手に押しかけてくることや、時間に関係なく何度も電話をかけてくること、親が教師に家での様子を話すこともプライバシーの侵害である。私たち自身に関することは、必ず意見を聞いてほしい。
十、 対等な人格として認められる権利
学校や社会、生活の中で子どもの権利が活かされるように、おとなは私たちを対等な人格として認め、いっしょに考えなければならない。子どもが自身の考えや気持ちをありのままに伝えることができる関係、環境が必要である。
十一、 不登校をしている私たちの生き方の権利
おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない。
十二、 他者の権利の尊重
私たちは、他者の権利や自由も尊重します。
十三、 子どもの権利を知る権利
私たちには、子どもの権利を知る権利がある。国やおとなは子どもに対し、子どもの権利を知る機会を保障しなければならない。子どもの権利が守られているかどうかは、子ども自身が決める。
くわしくは、http://futoko.publishers.fm/article/1126/
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