小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~

小学校2年生で不登校になり、3年生で支援学校に一時転籍、そこでひどい体験をして元の学校に籍は戻ったものの、それっきり一度も登校していない娘(現在中3)と、42歳にして娘とともにアスペルガー症候群と診断、46歳でADD(注意欠陥障害)も加わった母の道のり。

不登校の経緯

小4 4月 3年連続新任の先生ですか

このブログの左端にあるカテゴリ別アーカイブに「不登校の経緯」があります。
そこに娘が不登校の兆しを見せ始めた小1からの記録を綴っています。
かなりのボリュームになってきましたが、淡々と日々の出来事を書いていますので、「不登校の子どもがいる生活ってどんなものだろう?」と興味のある方はよかったら読んでみてください。
私にとっても元々家計簿の片隅につけていたこの日記はいい振り返りの材料となっています。


これは娘が小4の4月の記録です。

4月(4年生に進級)

1日(日)
カウンセリングセンターの講義へ。自律訓練法などを習ったがいまいちだった。帰りに少し都会を満喫して気分転換。帰ってすぐごはんにして大量の洗濯物を片付けたらイライラ。苦手なゴミの準備をしていたら娘に八つ当たりしてしまった。

2日
朝から掃除、洗濯でぐったりして病院へ。娘はゆきちゃんと遊ぶ。
夕方から娘を連れて友人の整体サロンに行き、その友人と娘さんと一緒に合気道教室へ。娘は先生に「『うん』じゃなくて『はい』っていうの」「背筋伸ばして」と何度も言われていた。帰りファミレスで友人親子と晩ご飯を食べた。

今月から月曜ごとに100円おこずかいをあげることにした。

3日
昼から太極拳
パソコンで内職を始める。

4日
昨日眠れず昼前に起きる。娘は友達を求めて実家へ。誰も出てこないので「帰る」と言ったが図書館に連れて行く。
接骨院でガタガタの身体のメンテをして、すぐ晩ご飯作って食べて実家で父の入浴介助。

5日
朝早くに起きて実家へ行った娘。ゆきちゃんや他の友達と遊ぶ。ゆきちゃんがいなくなってしばらくしたら「疲れたから帰る」。家では銀魂のYoutubeをみて歌ってばかりいる。昼は実家に食べに行く。パソコン内職も大変。

6日
寝坊してしまった。教育サポートセンターとカウンセリングを日にち変更してまた寝る。フィットネスが楽しい。

7日
起きたらまた胃炎。吐きそう。下痢。食べられない。一日寝込む。

8日
不登校の会を泣く泣くあきらめて寝込む。でも洗濯はする。夜仕事もする。買い物してたら死にそうになった。

9日
まだしんどい。朝、病院で診てもらう。また胃炎。昼からカウンセリング。
帰ってすぐ学校へ顔合わせに行く。今年も新任の先生。もういいよ。

10日
起きてから掃除した。娘にトイレ掃除してもらう。教育サポートセンターに行く前に女性センターに本を返しに行き、中古ゲーム屋巡りと買い物。娘もだいぶ外出に耐えられるようになったと思う。

11日
夕方、学校の先生が来る。喜んでゲームなどを見せる娘。先生方は「定期的にきてふれあえたら」と言っていた。

12日
寝ている娘をおいて趣味の講座に行き帰りは買い物。いろいろ見て楽しいが疲れる。
娘は起きたてで風呂に入るというので、風呂足したり、ごはん作ったり、仕事したりとバタバタ。
そろそろゆっくり寝たい。娘が夜中でも話しかけてきて眠れないから。

13日
ジムに行く。帰って学校に書類届けに行き、実家に寄って父にMP3プレーヤーの使い方を教える。機械の使い方を根本から忘れてしまったようで何度も教える。機械マニアだったのに認知症は悲しい。

14日
このごろ4時頃眠り、起きる時間はいろいろな私。14時に起きて夕方図書館へ行き、帰ってすぐに娘と矯正歯科へ。「帰りにゲーム屋さんへいきたい」というので中古ゲーム店まで行ったら、高い銀魂のゲームを手に取ってじっと見ている。「高いし無理」というと「じゃ帰ろう」と言ったのでキレる。「また近いうちにレンタル返しに来なきゃいけないのに無駄足踏まされた。でもこうしてキレたらまたお母さんが悪いってなるんだよなー、くそっ」など言ってしまい娘に「ごめんなさい」と謝られる。もうつらい。

15日
娘がが起きる17時までのんびりと寝たり、本を読んだり。平和な一日。

16日
いったん11時に起きたら頭がグルグルする。なんかあかん感じ。
娘が「合気道、身体痛いし、ずっと座ってなあかんし、厳しいしイヤや。でもAちゃん悲しむし」もう少しやってみるって。でも今日は休む。
なんかイマイチ明るい展望が見えないような。

17日
娘の生活リズムが乱れ、私も巻き込まれる。
なのに、私の肉を見ながら「痩せる方法ないかなぁ」というのでまたキレてしまった。0時に目覚めて寝むれず3時に起き出して仕事して風呂入れる。顔がかゆい!

18日
学校の先生が来る。娘普通に対応している。

19日
一人で学校へ検尿を出しに行く。一度帰ってから娘と一緒に美容室や役所に行き行きつけのカフェに寄った。

21日
頭痛くて13時ごろまで寝てた。昼カップ麺食べて掃除して、娘を風呂に入れてってやってたら私キレる。「キレられたらいややろ。ママやめてって言ったら」「でももっと怒るかもしれんし、怖いもん」。
夜は実家に行き母の留守を守る。拒否した娘は自宅で待っている。

23日
朝Rちゃんよりお誘いがあって、昼ごちそうになって遊びに行くことになった娘。途中でRちゃんが機嫌を損ねて部屋に入れてくれなかったので、体一つで実家まで帰ってきた。連絡を受けて荷物と自転車取りに行く私。娘は別の友達たちとご機嫌で遊んでいる。しかし帰ってから「気持ち悪い」と何も食べず「疲れた」と寝てしまう。

24日
私は朝方に寝たのに7時くらいに娘に起こされ、眠れず起きることに。ゲームソフトをなくしたと騒ぐので、Rちゃんのお母さんに自分で電話させて、そのあと思いっきり叱った。
むかつくまま太極拳行って、カウンセリングいって、診察受けて(何度もグルグルめまい)実家でゲーム探して、持っていき忘れたレンタルDVD返してと気が狂う一日だった。やっと夜眠れた。

25日
8時に起きれた!掃除してたらソフト、娘のカバンかけのそばの床から見つかる。
学校より電話、心臓検診のために学校に行かなければいけないと勘違いした娘、パニックに。「気持ち悪い、イヤ」。
昼、実家で父にご飯を食べさせ、教育サポートセンターへ。先生に「心理士の先生と関係できていけそうなら生活リズムが乱れていても適応指導教室に入室できる」といわれた。

26日
アロマ教室のあと買い物。娘頭痛いと昼寝。夜仕事して今月分を納品する。

27日
朝8時に起きて娘と通っていたところと違う小学校に心臓検診に行った。びっくりするほど他所の学校は平気。それから私は昼過ぎまで寝てしまう。二人で買い物。
どうやら娘は私が隣でゲームしてるとよく眠れるようだ。

28日(土)
頭が痛くほぼ一日寝ていた。

29日(日)
どうしても朝起きられない。実家から5回くらい電話あり。母の外出が長引いて不安になった父からだった。晩作って私一人で空手に行く。すごいぞ、おもしろいぞ。
娘「ママ起きへんし、自分で料理しようかなー」って。申し訳ない、でも起きられない。

30日
16時まで起きられへんかった。頭痛。
娘はこのころはアニメに夢中。



4年生になってどんな先生が担任になるかと思ったら、2年、3年に続いてまたしても新任の先生。学校はもう娘のケアをする気はないんだなと思いました。もう登校を促してくることも全くなくなっていましたし、プリントなどもすべてお断りしていたので、学校と縁が薄くてもいいんですけどね。でも生徒のひとりなわけですし、本人は先生との交流を嫌がっていないしむしろ望んでいたので、もうちょっと働きかけがあってもいいのではと思いました。私からもちゃんとそのあたりの要望を言えばよかったと今では思います。

私は娘の無茶苦茶な生活リズムに引きずり込まれ、とても苦しんでいました。しかもすぐ近くの実家の父の認知症が進行し手伝いが必要なときがどんどん増えてきていました。それでも「自分のための時間を作らなくては!」とジムや習い事をしていましたが、これだけ身体の調子を崩しているような状況では、それよりなんとか身体を休める機会を作ったほうがよかったかもしれませんね。
それでも、一人で外に出ているひとときは現実から離れられてメンタル面ではよかったですけれど。

またそんな時に限ってふとしたご縁で在宅でライターの仕事をすることになりました。
これは長く続いたのですが、ほとんど稼ぎにはならなかったけれど「仕事をしている」ということがうれしかったです。


娘は友達と遊ぶことと、ゲーム・DVD鑑賞で元気を保っていました。一番楽しみにしてたのはやはり一番好きな友達ゆきちゃんと遊ぶことでしたね。娘は特定の友達に執着するところが幼少のころからあり、その子と遊べるかどうかがメンタルに直接結びつくのです。
それがはっきりとわかるようになるのはもう少し先の話。


小3 3月 キャンセルの嵐にキレる私

これは娘が小3の時の話です。


3月

2日(金)
病院でりさのセラピー。だけど何度も「ママ来て」と呼ばれる。セラピーの途中で眠くなったようだがマンガを読んで復活する。

3日(土)
昼から友達の家に遊びに行く。他の子もたくさん来ていたけど楽しかったって。

4日(日)
久々に少年団の集まりに。「楽しかった~」と友達を連れて帰ってくる。友達が帰ってから眠ってしまい、寝言で「もっと遊びたかった」といっていた。

5日(月)
夜中に起きたりさの相手をしてご飯を食べさせ、ランニングマシンにのったらひどいめまいと気持ち悪さに襲われる。しんどさを見せつけてりさを苦しめる私。
昼の支度だけして私は夜7時ごろまで寝る。昼夜逆転になってしまいひきこもり状態になった私は「死にたい」とばかり考えている。
寝る前にりさは少しでも私と遊びたがる。頭痛いというのでマッサージして寝かす。

6日(火)
夕方より私、ダイナマイト級の頭痛。

7日(水)
朝やっぱり起きられない私に心配して、「接骨院に行ったら?」というりさ。ムカッときて当たったら「はっきり言ってあたられるの嫌です」というので「すんませんな」と怒って返すと「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝られる。これはもう虐待の域だなと思う。
夕方、教育サポートセンターへ行く。

8日(木)
朝起きて掃除。りさが珍しく出かけたいというので知り合いがやっている整体に行くと「ストレスで首・背中がガチガチ」といわれる。そのあと知り合いと3人でカフェでランチ。
中古ゲーム店2軒回ってソフトを売って買う。夜中にはクリアしてしまったらしい。

10日(土)
りさ、ゆきちゃんとたっぷり遊ぶ。私は昼から実家に行ってご飯を食べさせてもらう。
接骨院→女性センター→買い物と回ったが眠くてフラフラする。

11日(日)
昨日の夜中に起きてきたりさが朝見るとクタッとしている。39度の熱発。晩はお刺身食べたいと一人分食べいったん熱も下がったが、深夜からまた上がってきた。

12日(月)
今日も熱は39度。下痢。

13日(火)
熱は38度くらいに下がり、「フラフラは治った」と少し立って動くが下痢を繰り返し寒がって固形物を受け付けない。水を飲んでも下痢する。

14日(水)
いくら医者が嫌だといってもこれは限界だろうということで小児科に連れて行く。
すると待合室で大量の鼻血を出し応急手当てを受けるが完全には止まらず、午後に耳鼻科に行くように指示される。午後に耳鼻科で止血処理してもらったらやっと止まった。
ちなみにインフルエンザはマイナスで、胃腸炎との診断。

15日(木)
クリームシチューや焼うどんを元気に食べるりさ。せっかくもらった薬はほとんど飲まない。
私はいくらでも寝られるくらい疲れてしまった。

16日(金)
今度は私が胃腸の具合が悪く寒気もして寝込む。りさは元気。

17日(土)
登校拒否を克服する会に行く。体験者の青年が言った「親にキレられるのも、もうすぐキレそうっていうのもむっちゃ怖かった」「9年生きた中での将来の不安ってものすごいっすよ。ほっといても将来不安になりますよ」言葉がすごく印象に残った。

19日(月)
担任の先生が来て文集のプロフィールをりさに書かせる。
「楽しかったこと」は「もっとゆきちゃんと遊びたかった」。
夜は少し食べてはお腹が痛くなって休憩するのを繰り返している。

21日(水)
この頃りさは少し食べたら「お腹痛い」と横になることが多くなった。晩ご飯では毎日。

22日(木)
教育サポートセンターに行く予定だったが「今日はイヤ」でキャンセル。体調がよくないようで買ってきたお惣菜も食べない。でも夜中に嬉しそうにカップラーメンを食べていた。

23日(金)
終業式が終わってから私一人で学校へ。門をくぐったら泣きそうになった。
りさ、文集は見てゆきちゃんのは音読していた。通知長は見もせず。
昼から自分のカウンセリング。私は「よくやった」と自分をよしよしする方法を知らない。

24日(土)
子育てNPO団体の親睦会に行ってスタッフ登録する。

26日(月)
銀魂にハマっててDVDやYoutubeを見まくっては私に解説を無理やり聞かせるので新聞も読めない。
通っていた保育所に本を寄付する。

27日(火)
下痢、喉痛い。

28日(水)
もうしんどい。頭痛はものすごくひどいのにりさにご飯を食べさせて。もう死にそう。

29日(木)
やっと元気に起きることができた。
りさ、ゆきちゃん家のまえで何人もの友達と遊ぶ。こんな機会もなかなかないのでサポートセンターはキャンセルする。

30日(金)
私が寝坊して皮膚科の診察にりさについてきてもらった。「眠い、しんどい、お腹空いた」というのでミスドで食べて、本屋でいっぱい本を買ってやってやっと診察を受けることができた。
そして「次はりさのセラピーの時間だ」と思ったら「今日は勘弁して」といわれる。
帰り道、友達に合って「遊べるー?」「うん!」と元気にこたえるりさに向かってブチ切れた。

「もう死にたい!あんたのせいで何でこんな思いしなきゃいけないの!『すみません、行けません』ばっかりじゃない!!!」

キャンセルの電話をしている私の前でポロポロ泣いている。でも遊んで帰ってきた。




今から思えば、教育サポートセンターもカウンセリングもりさは望んでなくて、それよりできるだけ友達と遊びたかったんだな、それをかなえてやるほうがよかったんだな、と思いますが、やっぱり私もどこかであきらめがつかなかったんでしょうね。

それにしても今の私から思えば考えられないほど、あのときの私は頑張っていたなぁ。
体も心もボロボロで追いつめられているのに家事もちゃんとやってるし。

そういうと、「やればできるんじゃない」と思ってしまいがちですが、このころの私はものすごいペースで身体を壊しています。精神的にも本当にギリギリでしたし。その割には時々活動的になってしまっているところは、感情の波の激しさが当時からあったんだなぁと思います。

今は親子ともに発達障害と診断されて、私は登校拒否を克服する会で出会った方経由で障害福祉サービスにつながり、ヘルパーさんに来てもらえるようになってからはかなり穏やかに過ごせるようになりました。

このボロボロな時代に第3者の支援が受けられたらずいぶん助かっただろうと思います。


小3 2月 昼夜回転生活に付き合うということ②

これは娘が小3の時の話です。

今回は2月後半の話です。
日記形式でいいのか、もうちょっとまとめたほうがいいのか迷うところですが、今書いているところは日記の方が臨場感があるかなと思って。
また時期によって書き方も変わってくると思います。


2月

15日(水)
ママはご飯だけ作って病院まで寝てた。
主治医は「今のペースで大丈夫。『生まれてこなければよかった』も大丈夫ですよ」といってた。「らせんのようによくなっていく。少し悪くなることもある。」
カウンセラーは「自然にリズムがずれていってますねー。リセットができてない。うまくいってない」と言っていた。
帰りに、ゲームを買う。次々にクリアするのですぐにやるのがなくなってしまう。

16日
起きたら「お腹痛い。吐き気がする」というので、市販の胃腸薬を飲んで様子を見ることに。
私は珍しく元気でいろいろ用事をこなせた。母から父のことについて電話が2回もかかってきて参った(相談と愚痴)。

17日(金)
担任の先生が来る。しばらくしてゆきちゃんも来る。先生が来てるから来たくなったのかな。
帰り送っていって、雪の中1時間くらい公園で遊んでた。
ゆきちゃんのお母さんは、「言おうか悩んでいたけど、遊んだあと(りさに限らず)何日も調子にのってやるべきことをやらないので困っている。だから2学期は約束をさせなかった」というので、「うちはりさが納得しないから悪いけど誘いのメールだけはさせてもらうわ。どうするかはそっちの考えで決めて」といった。ゆきちゃんが個性的で困っていると言っていた。
わかるんやけど、かわいそうだ。つらいなぁ。土日とも断られた。


この辺りで、ゆきちゃんのお母さんはりさと娘を遊ばせたくなかったんだなと今ならわかります。言葉を文字通り受け取るアスペルガーの私。察するということが難しいのが悩みの種。
1年後くらいに「二人を遊ばせたくない」と決定的なことを言われました。


18日(土)
なんかイライラ。出たほうがいいと思い、りさも「今日は元気だから一人でコロコロするのもいいな」というのでジムへ。
プロテインダイエットの臭いをすごく嫌がる。臭いにも敏感だ。ゲームでお墓を見たら「死ぬのが怖い」という。

19日(日)
昼前より母旅行のため、Wii持参で泊まりに行く。父は家事、着替えが分からなくなってきており、母の苦労がしのばれる。
足の手入れのときマッサージしたら「うーん、気持ちいい。お前はいいマッサージ師だ」って。りさはリビングで遊んでから母の部屋で寝ようとするが、「怖い、となり行こう」とまたリビングへ。
「ママが怒ると怖い。目や顔が怒ってる。りさの壁は薄くてボロボロになっててすぐに破れるねん。怒られると傷つくねん」
私はワインコップ一杯とスナック1個一気食い。
そのまま床で寝てしまう。りさあまり食べない。「お腹痛い。気持ち悪い」とよく言う。

20日(月)
3時半に寝て7時前に父に起こされる。もうあかん。朝一緒に食べても寝ないために家中掃除、洗濯などしてデイサービスに送り出す。
それから寝て、りさに起こされ昼ごはん。

夜自宅に帰ってきて、りさ「ここに引っ越してからばあちゃんち落ち着けへん。前のコーポのときは近かったしそんなことなかった」というので、「ここ来てから引きこもって行かなくなったからじゃないか」というと「ごめんなさーい(涙)」と言っていた。

21日(火)
すかいらーくの冷凍ディッシュが食べられないことを「困った」というと、「病院生活長かったからあんな黒いパックに入ったのは嫌。器にちゃんと入ったのがいい」だって。
「サラダもキャベツを細かく刻んだのは嫌、大きくちぎったものを食べたい」

アスペルガー症候群と診断されたのは4年生になってからだけど、3年の特別支援学校の一件以降、こだわりがきつくなったような気がします。

22日(水)
起きたらまた「気持ち悪い」というので、散髪行くのが嫌なんだなと思い、「もうイヤ」と言っていたら、「いいなー、ママは本音が言えて」という。
「言ってみ」というと一番に「ママって本当はやっぱりりさのこといらんのちゃう?」といった。あと、「何でもりさのせいみたいに言うけど、そんなに私が悪いのかー」などと言っていた。「そう思っちゃうのはつらいなー」と言うと、ポロポロ本音が出た。

23日(木)
アロマ教室へ。頭はボーっとするがやっぱ楽しい。そのあと、カウンセリング。ブラックな胸の内を思い切り話してスッキリ。
でも昨日の夜、「りさ調子よくなってきたから出かけられるで」っていってた。買い物山ほどしてりさに昼食べさせて寝る。17:30に起こされて、晩一緒に食べてまた寝る、22:00ごろ起きる。

24日(金)
私は寝てたが、りさ昼の12時まで頑張りふらふらになって寝る。
りさが寝ている間に小学校に行って、校長先生と担任と話す。4年生からサポートセンターの適応教室に行ってはどうかということ。
実家よって、接骨院行って家に戻ってみるとりさが起きててビックリ。
「りさ、一晩ここで一人で暮らさなあかんのかと思った。」
お腹痛い、食べたくないサインで、明日の講演会はキャンセルする。

25日(土)
ずっと朝まで起きてたりさ。私は4:00ごろダウン。一人でばあちゃんち行って、ゆきちゃんを誘いに行った。「やることやってないからダメ」と母親に言われて泣きわめくゆきちゃん。「明日もおばあちゃんの誕生日だからダメ」
りさ「帰ってきて寝ていい?」と電話してきて、帰ってきて「1週間くらい寝たい」と言って寝てしまった。気の毒で見てられないが、りさの問題なんだなぁ。

26日(日)
ゆきちゃんと遊んだソフトが欲しいらしく、私とやりたがる。身代わりやな。
「早く来ないかな、来ないと爆発する」という。私も引きこもり。

27日(月)
寝ないでそのまま皮膚科へ二人で行く。帰って気を失ったように私は寝る。
何度も目を覚ましポストを見たり、2回くらい偏頭痛をおこす。次の日の朝まで起きられなかった。気持ち悪くて食べられない。

28日(火)
主治医が悩んでいて、私が何か気づいてないで苦しんでいることが、りさの病因の一つではないかということで、これからいろいろ聞かれるらしい。
ゆきちゃんのお母さんとスーパーで会って、さりげなく「遊ばせない」とけん制された。
りさのことを考えると誘いに行くのは止められない、でも遊ぶのはまず無理。帰りながら泣きそうになった。どうしてこんなにみんなに追いつめられるのだろう。結局誰も助けてくれない。理解もできない。

29日(水)
朝すごい腹痛と下痢。昼にレンジでチンを教えると冷凍パスタ食べていた。
りさ夜起きてあまり食べたがらず、今日もおかずだけ食べて、しばらくして菓子パン食べたりして二人でゲームしてたら「しんどい」と布団に入り、「頭痛い」というのでマッサージしたらこてっと寝てしまう。私のしんどそうな様子を見て、「りさも生活リズム直さな」という。


りさもかなり不安定になっていて、私に見捨てられるんじゃないかという不安が出ています。
あと、ゆきちゃんにこだわっていて遊びたがるのに、ゆきちゃんのお母さんからは拒絶される。でも親子して拒絶されていることをわかろうとしていなかったような気がします。

不登校の子とは関わりたくない、遊ばせたくないというお母さんはけっこう多いようです。
ゆきちゃんのお母さんはわりと辛抱強く付き合ってくれた方かもしれません。でも拒絶されるのはつらかったです。空気を読めないゆえに希望を捨てきれなかったし。

だけど、「もう関わりたくない」ととどめを刺されたのが一年後でよかったのかもしれません。このタイミングでそれを言われていたら、りさも私も耐え切れなかったような気がするから。


みんな自分の子育てで精いっぱいなんですよね。それはもう仕方がなかったんだと今では思っています。そんな世の中だから不登校になる子が続出するのだと思いますが。

小3 2月 昼夜回転生活に付き合うということ①

これは娘が小3のときの話です。

このころの日記にはりさの睡眠時間が詳細に書かれています。
睡眠時間計をつけてみました。

2012-2

きれいに後ろへずれていって約一月で1周していることが分かります。
こういう睡眠時間に付き合っていると、この後の日記のようになります。

2月

3日(金)
朝、ママ下痢と腹痛38度3分。りさ水を持ってきたり看病ノートを作ったり、枕元にバナナ置いたりしてくれる。
夜もしょっちゅう起こしてきてろくに寝た気がしない。ひどい頭痛が起きる。

4日(金)
実家に寝に行く。
りさ、ゆきちゃんとばあちゃんちの玄関で遊びながら寝てしまう。
ゆきちゃん、学校でいろいろ聞かれているらしい。「何で遊べるのに学校に来れへんの?」とか。
「しらん」といってくれてることに感謝。

5日(日
午前中は同じように遊ぶ。
晩ご飯食べて自宅に帰る。

6日(月)
ママ熱。

7日(火)
朝、「死んだらどうなるんやろ」と言ってきたので、「身も蓋もない言いかたしたら炭素とか細かいのになってあちこちただようねん。千の風になる、とか天国もあったらええわな」と話してた。
「よくママに話しかけたくなる」と言ってくる。

「お腹すけへん」と少ししか食べずに眠った。

8日(水)
「冬の青空学校(少年団の行事)も行きたくない」って。
「いま、ぷしゅ~やねん」なるほど。
りさ胃の調子悪い。

9日(木)
アロマ教室へ。

10日(金)
朝、今日も4時に起こされ、熱を測ったら37度3分くらいあってびっくり。
スッと下がったがお腹風邪っぽい。
「今日ジム行っていい?」「昨日も出かけてたやん。二日連続は嫌やなぁ」であきらめた。
夕方になったら頭がフラフラする。

11日(土)
10時にゆきちゃんちに誘いに行って午前外で少し遊び、実家でお好み焼きをとってもらって食べ、昼から1時間半ほどうちで遊ぶ。戻ってからも外でしばらく遊んでた。

私の弟が来るというので一緒に夕食。「くちゃくちゃいわせんな」といわれ、食べる気をなくしたりさ。隣でお腹が空いて泣いてたらしい。
「今はそんな注意はしなくていい」というと父も同意してくれた。
早めに帰ってカップうどん食べる。じんましん右半身がひどい

12日(日)
朝眠い。朝からミネストローネ作る。昼ジムに行く。
レンタル屋さんに一緒に行って、マンガとアニメDVDいっぱい借りてきた。遅くまで見てるので咎めたら、「りさのせいでママの身体がおかしくなるし病気になるし、自由にできないし、りさはいない方がいい」「生まれてこなかったらよかった」という。
怒られるとそういう気持ちになるらしい。弟に怒られたときもそういう気持ちになったそう。

13日(月)
なんかしんどくて、ママは朝や昼、何回も寝てた。接骨院と買い物には行く。
長期になってきてなんか希望もなしって感じ。自分も大して動けないと思うと、どうでもいいやと思うが、心理学セミナーに申し込んでみたりしてる。りさの友達代わりが日々の役割。

14日(火)
15時ごろから実家へ。父にバレンタインチョコを渡しに&母の誕生ケーキを食べに行った。
りさはゆきちゃんと会えてうれしくて、ゆきちゃんの家の前で1時間くらい遊んでた。
夜はお腹いっぱいであまり入らず、眠いから早く帰りたいという。帰ったらお目めバッチリでゲームしまくり。


日記を読み返してみると、とにかく自分の体調が最悪です。
退院してすぐにこんな生活リズムだったので、私もリズムを崩して自律神経が故障した感じ。

「自分の生活リズムは死守しましょう」とよくアドバイスされますが、このころのりさはまだまだ不安定で、私が寝てしまっても起こしにくる状況。付き合う以外の選択肢はなかったような気がします。

小3 退院してから(12月終り~1月)

これは5年前のりさの話です。

久しぶりの不登校の経緯、連載?再開です。

これはずっと時系列に追って書いていくのがライフワークだと思っているので、いくら遅れても書くつもり。


さて12月22日に やっと退院できたりささん、この年のクリスマスイブにはちょっとした事件が。

23日の夜に、りささんが「やっぱりポケモンのソフトいらん。違うのに替えてもらう」と爆弾発言。とっくにアマゾンで 注文していた私は真っ青。
「いや、そんなんサンタさん困りはるから!」というと、「ママがサンタさんみたいやん」と鋭いお言葉。観念して「ママがサンタです」とカミングアウトすると「やっぱり~」「ちょっとさみしい」だって。
もうサンタさん卒業のタイミングだったんですね。



自宅でスムーズに生活できたかというと全然そんなことはなく。

私はお正月が苦手です。
実家で過ごして楽をしたいという欲望はあるものの、実家に行くと母や全く不登校に理解のない弟にいつも責められてばかり。
りさも行くのが苦痛らしく、年々行くのを嫌がるようになってきました。

このころの私はまだ「正月くらい実家でのんびりしたい」という思いから抜け切れず、実家で過ごすことによる自分やりさが受けるダメージの方がよっぽどマイナスだということに気づけずにいました。

だから、「実家に行かない」とりさに言われたり、実家に行けないとすぐに爆発してしまっていたのです。

<お正月の日記より>

夜帰って来てからゲームがうまくいかず、キーキーと調べて、やってとヒステリーをおこす。泣きたくなって「お前なんか嫌いや。もうたくさんや」といってしまう。

なんだか鼻の奥がツンとして、世界にたった一人になったようで、「もう死にたい、死にたい、お前なんか嫌いや」といいながら家事をしていた。
りさは泣きそうな顔で布団にもぐったりしていた。家事に打ち込んで少しラクになってから、「ママも心が弱いの。薬も飲んでるの。死にたくないし、あんたのこと嫌いでもない。ごめん」といったら、「わかったから」「慣れてるから」って感じだった。

こんな状態が続いて、入院も無駄で……・。私は普通にやっていけるのかなぁ?もう投げ出したくなっておかしくならないかなぁ?他の場がいるよ。閉じ込められるのはヤダよ。ほっといて外に出よう。そうじゃないと両方ダメになる。
夜、りさしんどくてゲームできなくなる。手足が冷たい、頭痛を訴え、手を突っ込んで吐く。

りさには入院のダメージも残っていました。

涙ぐんで「夜怖いねん。寝られへんねん。病院ではもっと怖かった。トイレ行くのも必死やった。お姉ちゃんにカルピス開けてもらったりしててん。どうしよう、怖い」という。


この時期本当にこたえたのは、父が末期がんで認知症も入った状態で 週に何日も実家に介護に通わなければならなかったことと、昼夜回転生活のままのりさの生活リズムに振り回されたことです。

家に置いていくと、不安定なりさは飛び出して実家にやってきます。
でも、実家で私の父と母が夫婦喧嘩をしているのを見て「おじいちゃんとおばあちゃんがけんかをしているのを見るのが嫌だ」と私に言うようになりました。言えるようになったのはすごい。

昼夜回転は本人もつらいらしく「りさかて好きで起きてるんちゃう!」と言ったこともあります。


通院は、強引に起こして行っていましたが、りさはセラピールームに行くと中待合の長椅子で横になってマンガを読んだりウトウトしたり。セラピーを拒否するようになりました。
仕方がないので、私が代わりにしゃべっていましたが、思えば病院はりさにとってトラウマの詰まった場所になってしまっていたんですね。
支援学校の先生に責められ続けた2度目の入院と、無理やりお年寄りだらけの部屋に移されたつい最近の入院。嫌になって当たり前なのに私は気づけませんでした。


神経質な言動も目立つようになってきました。

寝ている私を起こしてこんなことを言います。

「上の部屋の物音が怖い。何か鳴っていると携帯かなと思う。ママの寝言がむっちゃ怖くて逃げたい。」「留守電みたいな音聞こえた!」

そして「ママ、寝ないで横にいてゲームしてて、電気つけて」と要求することも。

 不安もいっぱい。
太ることをとても気にしていて、夜中の食事で悩んでいました。自分はもう治らないと思っている様子が見られました(出かけられないこととか)。 
その反面「りさは我慢強いねんで。生活戻そうと思ったら晩ご飯まで起きてて、それから寝るねん」
「いまはしんどいの?」「うん」という会話を交わしたことも。

自分を振り返るような言動もありました。
「友達に怒りをぶつけたら嫌われる」、「大丈夫なのはゆきちゃんだけ。あの人ボーっとしてるから」
 「りさ、嫌でも顔に出せへんと出来るから」


当たり散らす私に反抗する力が湧いてきました。
グチグチいう私に「ママ、りさにそんなんいうても無駄やで」って。


まだまだ私もりさを受容できず、自分のことでいっぱいいっぱい。
りさも苦しみながらも、少しずつ力をつけ始めてきた模様です。

 
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42歳でアスペルガー、46歳で加えて注意欠陥障害と診断される。娘はアスペルガーで小2から中3まで不登校を通した末、今春から通信制サポート校に入学。「小学生で不登校!?」ってブログやってます。
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