このブログの左端にあるカテゴリ別アーカイブに「不登校の経緯」があります。
そこに娘が不登校の兆しを見せ始めた小1からの記録を綴っています。
かなりのボリュームになってきましたが、淡々と日々の出来事を書いていますので、「不登校の子どもがいる生活ってどんなものだろう?」と興味のある方はよかったら読んでみてください。
私にとっても元々家計簿の片隅につけていたこの日記はいい振り返りの材料となっています。
これは娘が小4の4月の記録です。
16日
4年生になってどんな先生が担任になるかと思ったら、2年、3年に続いてまたしても新任の先生。学校はもう娘のケアをする気はないんだなと思いました。もう登校を促してくることも全くなくなっていましたし、プリントなどもすべてお断りしていたので、学校と縁が薄くてもいいんですけどね。でも生徒のひとりなわけですし、本人は先生との交流を嫌がっていないしむしろ望んでいたので、もうちょっと働きかけがあってもいいのではと思いました。私からもちゃんとそのあたりの要望を言えばよかったと今では思います。
私は娘の無茶苦茶な生活リズムに引きずり込まれ、とても苦しんでいました。しかもすぐ近くの実家の父の認知症が進行し手伝いが必要なときがどんどん増えてきていました。それでも「自分のための時間を作らなくては!」とジムや習い事をしていましたが、これだけ身体の調子を崩しているような状況では、それよりなんとか身体を休める機会を作ったほうがよかったかもしれませんね。
それでも、一人で外に出ているひとときは現実から離れられてメンタル面ではよかったですけれど。
またそんな時に限ってふとしたご縁で在宅でライターの仕事をすることになりました。
これは長く続いたのですが、ほとんど稼ぎにはならなかったけれど「仕事をしている」ということがうれしかったです。
娘は友達と遊ぶことと、ゲーム・DVD鑑賞で元気を保っていました。一番楽しみにしてたのはやはり一番好きな友達ゆきちゃんと遊ぶことでしたね。娘は特定の友達に執着するところが幼少のころからあり、その子と遊べるかどうかがメンタルに直接結びつくのです。
それがはっきりとわかるようになるのはもう少し先の話。
そこに娘が不登校の兆しを見せ始めた小1からの記録を綴っています。
かなりのボリュームになってきましたが、淡々と日々の出来事を書いていますので、「不登校の子どもがいる生活ってどんなものだろう?」と興味のある方はよかったら読んでみてください。
私にとっても元々家計簿の片隅につけていたこの日記はいい振り返りの材料となっています。
これは娘が小4の4月の記録です。
4月(4年生に進級)
1日(日)
カウンセリングセンターの講義へ。自律訓練法などを習ったがいまいちだった。帰りに少し都会を満喫して気分転換。帰ってすぐごはんにして大量の洗濯物を片付けたらイライラ。苦手なゴミの準備をしていたら娘に八つ当たりしてしまった。
2日
朝から掃除、洗濯でぐったりして病院へ。娘はゆきちゃんと遊ぶ。
夕方から娘を連れて友人の整体サロンに行き、その友人と娘さんと一緒に合気道教室へ。娘は先生に「『うん』じゃなくて『はい』っていうの」「背筋伸ばして」と何度も言われていた。帰りファミレスで友人親子と晩ご飯を食べた。
今月から月曜ごとに100円おこずかいをあげることにした。
3日
昼から太極拳
パソコンで内職を始める。
4日
昨日眠れず昼前に起きる。娘は友達を求めて実家へ。誰も出てこないので「帰る」と言ったが図書館に連れて行く。
接骨院でガタガタの身体のメンテをして、すぐ晩ご飯作って食べて実家で父の入浴介助。
5日
朝早くに起きて実家へ行った娘。ゆきちゃんや他の友達と遊ぶ。ゆきちゃんがいなくなってしばらくしたら「疲れたから帰る」。家では銀魂のYoutubeをみて歌ってばかりいる。昼は実家に食べに行く。パソコン内職も大変。
6日
寝坊してしまった。教育サポートセンターとカウンセリングを日にち変更してまた寝る。フィットネスが楽しい。
7日
起きたらまた胃炎。吐きそう。下痢。食べられない。一日寝込む。
8日
不登校の会を泣く泣くあきらめて寝込む。でも洗濯はする。夜仕事もする。買い物してたら死にそうになった。
9日
まだしんどい。朝、病院で診てもらう。また胃炎。昼からカウンセリング。
帰ってすぐ学校へ顔合わせに行く。今年も新任の先生。もういいよ。
帰ってすぐ学校へ顔合わせに行く。今年も新任の先生。もういいよ。
10日
起きてから掃除した。娘にトイレ掃除してもらう。教育サポートセンターに行く前に女性センターに本を返しに行き、中古ゲーム屋巡りと買い物。娘もだいぶ外出に耐えられるようになったと思う。
11日
夕方、学校の先生が来る。喜んでゲームなどを見せる娘。先生方は「定期的にきてふれあえたら」と言っていた。
12日
寝ている娘をおいて趣味の講座に行き帰りは買い物。いろいろ見て楽しいが疲れる。
娘は起きたてで風呂に入るというので、風呂足したり、ごはん作ったり、仕事したりとバタバタ。
そろそろゆっくり寝たい。娘が夜中でも話しかけてきて眠れないから。
娘は起きたてで風呂に入るというので、風呂足したり、ごはん作ったり、仕事したりとバタバタ。
そろそろゆっくり寝たい。娘が夜中でも話しかけてきて眠れないから。
13日
ジムに行く。帰って学校に書類届けに行き、実家に寄って父にMP3プレーヤーの使い方を教える。機械の使い方を根本から忘れてしまったようで何度も教える。機械マニアだったのに認知症は悲しい。
14日
このごろ4時頃眠り、起きる時間はいろいろな私。14時に起きて夕方図書館へ行き、帰ってすぐに娘と矯正歯科へ。「帰りにゲーム屋さんへいきたい」というので中古ゲーム店まで行ったら、高い銀魂のゲームを手に取ってじっと見ている。「高いし無理」というと「じゃ帰ろう」と言ったのでキレる。「また近いうちにレンタル返しに来なきゃいけないのに無駄足踏まされた。でもこうしてキレたらまたお母さんが悪いってなるんだよなー、くそっ」など言ってしまい娘に「ごめんなさい」と謝られる。もうつらい。
15日
娘がが起きる17時までのんびりと寝たり、本を読んだり。平和な一日。
16日
いったん11時に起きたら頭がグルグルする。なんかあかん感じ。
娘が「合気道、身体痛いし、ずっと座ってなあかんし、厳しいしイヤや。でもAちゃん悲しむし」もう少しやってみるって。でも今日は休む。
娘が「合気道、身体痛いし、ずっと座ってなあかんし、厳しいしイヤや。でもAちゃん悲しむし」もう少しやってみるって。でも今日は休む。
なんかイマイチ明るい展望が見えないような。
17日
娘の生活リズムが乱れ、私も巻き込まれる。
なのに、私の肉を見ながら「痩せる方法ないかなぁ」というのでまたキレてしまった。0時に目覚めて寝むれず3時に起き出して仕事して風呂入れる。顔がかゆい!
なのに、私の肉を見ながら「痩せる方法ないかなぁ」というのでまたキレてしまった。0時に目覚めて寝むれず3時に起き出して仕事して風呂入れる。顔がかゆい!
18日
学校の先生が来る。娘普通に対応している。
19日
一人で学校へ検尿を出しに行く。一度帰ってから娘と一緒に美容室や役所に行き行きつけのカフェに寄った。
21日
頭痛くて13時ごろまで寝てた。昼カップ麺食べて掃除して、娘を風呂に入れてってやってたら私キレる。「キレられたらいややろ。ママやめてって言ったら」「でももっと怒るかもしれんし、怖いもん」。
夜は実家に行き母の留守を守る。拒否した娘は自宅で待っている。
23日
朝Rちゃんよりお誘いがあって、昼ごちそうになって遊びに行くことになった娘。途中でRちゃんが機嫌を損ねて部屋に入れてくれなかったので、体一つで実家まで帰ってきた。連絡を受けて荷物と自転車取りに行く私。娘は別の友達たちとご機嫌で遊んでいる。しかし帰ってから「気持ち悪い」と何も食べず「疲れた」と寝てしまう。
24日
私は朝方に寝たのに7時くらいに娘に起こされ、眠れず起きることに。ゲームソフトをなくしたと騒ぐので、Rちゃんのお母さんに自分で電話させて、そのあと思いっきり叱った。
むかつくまま太極拳行って、カウンセリングいって、診察受けて(何度もグルグルめまい)実家でゲーム探して、持っていき忘れたレンタルDVD返してと気が狂う一日だった。やっと夜眠れた。
25日
8時に起きれた!掃除してたらソフト、娘のカバンかけのそばの床から見つかる。
学校より電話、心臓検診のために学校に行かなければいけないと勘違いした娘、パニックに。「気持ち悪い、イヤ」。
学校より電話、心臓検診のために学校に行かなければいけないと勘違いした娘、パニックに。「気持ち悪い、イヤ」。
昼、実家で父にご飯を食べさせ、教育サポートセンターへ。先生に「心理士の先生と関係できていけそうなら生活リズムが乱れていても適応指導教室に入室できる」といわれた。
26日
アロマ教室のあと買い物。娘頭痛いと昼寝。夜仕事して今月分を納品する。
27日
朝8時に起きて娘と通っていたところと違う小学校に心臓検診に行った。びっくりするほど他所の学校は平気。それから私は昼過ぎまで寝てしまう。二人で買い物。
どうやら娘は私が隣でゲームしてるとよく眠れるようだ。
どうやら娘は私が隣でゲームしてるとよく眠れるようだ。
28日(土)
頭が痛くほぼ一日寝ていた。
29日(日)
どうしても朝起きられない。実家から5回くらい電話あり。母の外出が長引いて不安になった父からだった。晩作って私一人で空手に行く。すごいぞ、おもしろいぞ。
娘「ママ起きへんし、自分で料理しようかなー」って。申し訳ない、でも起きられない。
30日
16時まで起きられへんかった。頭痛。
娘はこのころはアニメに夢中。
4年生になってどんな先生が担任になるかと思ったら、2年、3年に続いてまたしても新任の先生。学校はもう娘のケアをする気はないんだなと思いました。もう登校を促してくることも全くなくなっていましたし、プリントなどもすべてお断りしていたので、学校と縁が薄くてもいいんですけどね。でも生徒のひとりなわけですし、本人は先生との交流を嫌がっていないしむしろ望んでいたので、もうちょっと働きかけがあってもいいのではと思いました。私からもちゃんとそのあたりの要望を言えばよかったと今では思います。
私は娘の無茶苦茶な生活リズムに引きずり込まれ、とても苦しんでいました。しかもすぐ近くの実家の父の認知症が進行し手伝いが必要なときがどんどん増えてきていました。それでも「自分のための時間を作らなくては!」とジムや習い事をしていましたが、これだけ身体の調子を崩しているような状況では、それよりなんとか身体を休める機会を作ったほうがよかったかもしれませんね。
それでも、一人で外に出ているひとときは現実から離れられてメンタル面ではよかったですけれど。
またそんな時に限ってふとしたご縁で在宅でライターの仕事をすることになりました。
これは長く続いたのですが、ほとんど稼ぎにはならなかったけれど「仕事をしている」ということがうれしかったです。
娘は友達と遊ぶことと、ゲーム・DVD鑑賞で元気を保っていました。一番楽しみにしてたのはやはり一番好きな友達ゆきちゃんと遊ぶことでしたね。娘は特定の友達に執着するところが幼少のころからあり、その子と遊べるかどうかがメンタルに直接結びつくのです。
それがはっきりとわかるようになるのはもう少し先の話。