高垣忠一郎先生の「自分が自分であって大丈夫」という講演会に行ってきました。
時間ジャストくらいに急に人が増えて満員になったのは土地柄でしょうか?

不登校の子どもの思い



いじめにあって不登校になった子は、「自分が悪いからだ。自分には得意なところもないし、人と話すのが苦手だからいじめられるんだ。」といいます。
その他の理由で不登校になった子も、「みんなは学校に行けるのに、自分は行くことができない。そんな自分が情けない」「親に申し訳ない」と自分が悪いんだと自分を嫌い、けなし、否定しています。

引きこもりの若者たちも、若者を使い捨てにする社会が悪いのではなく、「社会についていけない自分が悪い」と自分を責め否定しています。

どうしてこういうことになってしまったのでしょう?


脅しの評価が幅を利かせている



今の子どもは「とりあえず勉強しなさい、塾に行きなさい、部活に行きなさい」と時間刻みのスケジュールを生きることを強要されています。

それは、国のため、大企業の人材になるためのレールで、「目的は国や大企業が見つけてあげるから、あなたたちはいい性能を身につけた道具になってください。」ということです。
親や学校は疑いもせずにそのレールの上に子どもをのせていきます。 

競争に勝って上に行くための性能を身につけた人のための自己肯定感というのは評価です。
丸ごとの人間を比べて順位をつけることはできません。比べられるのは部分的な能力や特性だけ。
比べ癖がついた眼で子どもを見ると、比べることができるところしか見なくなってしまい、丸ごとの我が子を見失ってしまいます。

そんな世界に生きる子どもたちは「頑張らなければ、期待に応えなければ見捨てられる」という地雷が心に埋め込まれるのです。

このごろの子どもに多いのが、字にバツをつけられただけで、自分を丸ごと否定された気になってパニックになってしまうこと。
それは、小さいときからできる、できないという一部分だけを比べられて、「こんなこともできないのか」と否定されてきたからなんですね。


立ち直るための本当の自己肯定感はどう育つのか?



不登校の子どもたちが立ち上がるには、自己否定の思いから自分を解放し、自分自身を元気にして自分自身の人生を生きることができるようになるのが大事な一歩です。

そのために必要なのが、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感なのです。

「よしよし」とよく赤ちゃんにかける言葉がありますよね。その言葉には、評価の良しと、赦しと共感の良しの二種類があるのです。

自分のいいところを見つけて評価して作る自己肯定感は、自分の中の部分的な能力や特性を評価しているだけの表面的なものです。軸は上から見ている人からの評価だから。
それが「もうあなたは必要ない」とポイ捨てされたら自分を失って路頭に迷ってしまうことになります。

大人になるということは、自分で自分の人生を引き受けていくこと。
自分の頭と心が主体であって、いろいろ試してみないと自分に合った自分は見つからないのですが、試行錯誤するチャンスが今の子どもたちにはないのです。

思春期は第二の生みの苦しみを味わうとき。だけど、産道が競争原理に縛られて狭くなってしまっていて難産になってしまっています。
内側から支える「自分は自分であって大丈夫」という自己肯定感が希薄なため産みの苦しみに耐えるのが難しくなっているわけです。 

だけど、人の目を気にして、自分で決めることができない。「こうしたら評価が高くなるのでは?」と窺ってしまう。
でもそれは一体誰の人生を生きているのかってことですね。
 

おしめを変えるとき「よしよし」というのには、うんち出てもおしっこしてもかまわないよ。大丈夫だよ」のよしよしであり、赦しの「よしよし」です。

本当の自己肯定感を育てるには、赦しの「よしよし」を子どもにたくさんあげることです。

現代に生きる人々は、相手に迷惑だと思って泣き言をいうことができません。
親の期待も痛いほど感じているので、親が悲しむようなことはいえないのです。
「子どもが明るく楽しく学校に通ってくれる」ことを親が望んでいることを知っているから、いじめられたり、つらい目にあっても親にはいわないわけです。

今の子は「苦しみ悩むのはダメな自分」と思っているからうんちやおしっこのようにもらせなくなっています。
安心して漏らせるおしめパンツのような親になってほしいと先生はいってました。

でも親のおしめパンツがズタズタになっていることが多いんですよね。
親たちが手をつないでつなぎ合わせ、しんどいことを漏らしてもいいんだという地域などのネットワークを作っていくのが大切です。
 
 

「先生がいう自己肯定感ってどういう意味かさっぱりわからん」
 

講演が終わったときそういった男性がいました。

先生は熱く、「自分に正直に、自分の心と相談して自分の頭で考える人になること。
いい子にならなくていい。自分の持ち味を大切にする。
脅されながら生きるのではない、上の立場の人間の評価におびえるのではない。
上の人間のお眼鏡にかなったいい人材になって、それで自信を持つのは本当の自己肯定感ではない。
人生、自分を生きないでだれが生きるのか。」と答えました。



「学校に行かなくていいっていってるのになぜいい子をやめないのか」

私が、「娘に『学校へは行かなくてもいい』『勉強もしなくていいい』といっているのに、娘はいい子であることを捨てようとしないんです。どうしたらいいのでしょう?」と聞くと辛辣な答えが返ってきました。

「学校へ行かなくてもいい」、「勉強もしなくていい」って許可をもらうものじゃないでしょう。それなら親のいいなりになっているだけ。
「あなたが学校に行きたいのなら行けばいいし、行きたくないのなら行かなければいい。勉強も一緒。」
「あなたの命が終わるときに『自分の選択に悔いはない』と思えるように生きていけばいい」といってあげたらいいんですよ。

といわれました。

痛かったけど納得しました。