このブログでお正月のことを何度か書きました。

お正月というのは家族、親せきが集まる機会で、それは不登校の子どもとその親にとってはつらいことが多いからです。 子どもの祖父母にあたる自分の親でも理解してくれないことが多いくらいですから、親戚なんか想像するだけでも憂うつになりますよね。

うちは親戚が極端に少なく今やお正月に集うのは母と私の弟くらいですが、義実家があるお宅はどれだけの心労を抱えられていることかと思います。

帰省やお正月に関するコラムを書くことになったので娘に直接「お正月についてどう思う?」と聞いてみました。するとかなり面白い話を聞かせてくれたのです。

------------(以下娘談)

お正月って一家集合、一族集合っていうビッグイベントだよね。
ママがそれをストレスに感じてることは見てたら分かる。
同じ話ばかり繰り返す母親と嫌味ばっかり言ってくる弟がいる場に家族のひとりとして強制的に行かねばならぬ、そして食卓を囲まねばならぬ。
「ママ、『ああっ!!』とならない?」
つらいやろうなって思うわけ。

私の心の中では、正月というビッグイベントは緊張要素として、普段は無意識化に置かれているんだ。表面上は嫌とは思っていないよ。でも正月の雰囲気によって緊張が無意識にでてくる。

生きていると情報が記録されていくわけ。自分の嫌な記憶とか、ママの話を聞いて「そういうことが起こるんだな」って思ったことが。
そして緊張が重なってバーンとなっちゃう感じ。

精神科の先生が言っていたよね。
「電車が怖い」という症状は「大丈夫」が重なると減っていくけれど、イヤなことの積み重ねだとしんどくなるって。それと一緒だと思う。
今までの経験で嫌になるんだよね。

え、「もしママが大掃除やお正月の準備をちゃんとやる人だったらどう思う?」って?
楽な気持ちでやってくれていたらいいけれど、「ああ、もうつらい」って義務感でヘロヘロになりながらやってたら私もつらい。

(娘談おわり)----------------

いやぁ、これだけはっきり言語化できるようになっているとはびっくりしました。
「生きていると情報が記録されていく」のくだりはまさに学校に行きたくない、出かけたくない気持ちにも通じているのかなと思ったり。いろいろ考えさせられました。

それと、思った以上に私の感情に敏感で影響されているということ。
娘はしっかりと私との間に境界線を引けていると思っていたけど、気持ちまで引きずられているかどうかは別としてやはり親がつらいと子どももつらいんだなって改めて気づくことができました。
これは境界線の問題かどうかは分かりませんが。


「来年はおじさんがいても行くよ」と言っていますが無理はしないでほしいなと思います。