上記のつどいで、私は「高校生の登校拒否・不登校」がテーマの分科会に2回参加してきました。

分科会は3回あって、どの分科会に参加するかは自由。
だから、2回参加しても顔ぶれは全く違ったのでかえって新鮮でした。

高校生の分科会に来ているのは高校生の子どもを持つ親を中心として、高校の先生、不登校生を受け入れに積極的な高校の先生(東京のチャレンジスクールの先生など)、教育相談の相談員など多彩な顔触れ。


まず、全員が自己紹介を兼ねて自分の悩みや今の状況を話していきます。そして、1回しか参加できないなど緊急性の高い人のケースについて、みんなで討論していくという流れです。
その場でフォローしきれなかった人には、その人の地元の親の会を紹介するなどアフターフォローも世話人さんをはじめ、ベテランの参加者の人がしてくれるのがすごい。


今回私が思ったのは、「高校生の不登校に悩む人は、中学生の頃から不登校になった人が多いんだな」ということ。
きっかけは様々ですが、受験戦争も生き抜いて、頑張って頑張った末にある日力尽きたり、塾などで叱咤激励されることに疲れ果てたりと、周りの期待に応えようと頑張って実際ある程度まで応えてきた子どもたちがぷっつりと学校に行けなくなる様子は、まさに現代的だなと感じました。

もちろん理由がわからないケースも多く、いえむしろ理由がわからないことの方が多かったです。
これは不登校が始まった年齢関係なくですね。
ある人のお子さんは、「どうして学校に行かないか聞かないで。私も分からないの。」といいました。

東京のチャレンジ校の先生は卒業生が30歳になったときに書いてもらったという文集を持ってきて、「彼らは30歳になってようやくどうして自分が学校に行けなかったのかわかったような気がするといったんです。素晴らしい文章なのでぜひ読んでみてください。」と話していました。

お願いして文集をもらってきたのですが、理知的でしっかり自己分析できている文章が見事だなと感じましたよ。当事者の苦しい気持ちが流れ込んでくるようでした。
大阪のつどいでも当事者の若者が「30歳くらいになってようやくどうして行けなかったのかなんとなくわかった」と言っていたことを思い出し、つらかった思いを見つめられるようになるにはそれくらいの年月が必要なのかもしれないと思いました。


あと、子どもの言葉で印象に残ったのが、「親、先生、カウンセラーの関わりや支援はたいていは的外れ。今、その支援が必要なのかよく考えてみてほしい」というひとこと。
つい、周りは「何か支援しなくては」と考えがちですが、この言葉を忘れないようにしたいものですね。


私は、正直に言うと「小学校に通えただけまだいいじゃないか。小学校低学年で不登校になったら基礎学力のなさがどれだけ不安か。」と中学以降の不登校生の親に対して思っていました。

だけど、今回全国から集まった人の生の苦しみ、悩みを聞いて、「我が子が学校に行けなくなったときの苦しみ、悩みの重さ比べなんかできないし、意味がないな」とスッと思うことができました。
10人いたら10の違う物語があるし、ある程度「わかる、わかる」と共通する悩み、苦しみもある。

たくさんの人の生の声を聞くことで、自分のことも振り返ることができるし、ときには誰かの力になることもできる。なにより「ひとりじゃないんだ」って思うことができる。

それがこうした親の会の魅力だと改めて思いました。