小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~

小学校2年生で不登校になり、3年生で支援学校に一時転籍、そこでひどい体験をして元の学校に籍は戻ったものの、それっきり一度も登校していない娘(現在中3)と、42歳にして娘とともにアスペルガー症候群と診断、46歳でADD(注意欠陥障害)も加わった母の道のり。

2017年08月

家事を教えようとして気付いたこと

子どもに身につけさせたい力として、家事をする能力がよくあげられます。

ある日、娘に洗濯をするように頼みました。私の体調が悪かったからです。
それまでに何度か洗濯の仕方は教えていたのですが、娘は全く覚えていません。本当にケロッと忘れているのです。そして、私に「バカでごめんなさい」っていうんですよ。切なくて泣きたくなりましたね。

それから何とか洗濯機は終了。「干しておいて」と言ったのですが、ひと眠りして洗濯ものを見ると、下着類だけいつも干してある場所に干してあって、残りはカゴに放り込んだまま何時間も放置してあったのです。

娘に聞くと、「いつもお手伝いしてるときは下着だけしか干さなくてよかったから、今回もそれでいいと思った。干し終わったら『やったー』と思ってあとは忘れてしまった。できない子でごめんなさい。」と目を真っ赤にして泣いています。


娘は怒られると15になった今でも泣きます。こちらも怒りを抑えてるつもりなのですが、表情にダダ漏れらしいんですよね。表情を偽れないのは小さなころからずっとなので、というか発達障害の特性なので治せません。


この話をソーシャルワーカーにすると、「身の回りのことができるSSTは家庭で一番効果があります。もう15なのですから、家事をやって見せたり、例えばタオルを替える頻度を言って聞かせたりしてできることを増やすといいですよ。」と言われました。

言われたことには従うし、できるだけすぐに言わなければ気が済まない私は、翌日くらいに洗濯のマニュアルをパソコンで作り、バスタオルやフェイスタオルの交換頻度について話し、着古した服の捨て時についても一気に話しました。

娘はつらそうな顔をしながらがまんして聞いていました。そして、服を何枚か捨てました。

私は自分のコントロールのきかなさにいやになり、落ち込んでしまったのでした。


だいたい私自身、親がそういうことを仕込もうとすることに強く反発してきたのです。
「将来のため台所を手伝いなさい」
「そろそろ自分の部屋の掃除くらいしなさい」

「なんで私ばっかり!私が女だから?」という反発もあったと思います。
人に指図されるのが大嫌いだった私は、親にもあれこれ言われるのが嫌だったのです。


娘は長い間不登校をしてることもあって、私に遠慮しているところがあります。
「あ、気を使ってるな」と思う瞬間がよくあるのです。
そんな彼女相手だからこそ、もうすこしさりげなく時間をかけてやっていったらいいのかなと、今回のことで思いました。

学校へ行きたくないあなたへ2017

25日から新学期が始まる地域もあるそうで、また制服姿の生徒たちが街にあふれる季節がやってきますね。

小2から学校へ行かなくなった私の娘は、今は中3。中学には一度も登校したことがなく、このまま卒業するのでしょう。

だんだん学校を休むことが増え、最後には校舎を見ただけで体が震え出すようになった彼女が「もう学校へは行かない」ときっぱり言い切ったとき、正直親の私はショックでしたが「ここまで嫌がるにはなにかあるのだろう」ととりあえず学校を休ませることにしたのです。

私がストレスに耐え切れず、娘を入院させたり、付き添いの先生に頼んで登校させたりしている間は、娘も泣いたり心がひどく不安定になったり、最後には喘息発作まで起こしてしまいました。

そして、私が「もう学校はいいや」と思ったときから娘はどんどん元気を取り戻していったのです。


学校へ行けない理由を語ることのなかった娘が、この頃ポツリポツリと言うようになったのは、「とにかく疲れていた」、「しんどかったのに友達に信じてもらえずズル休みといわれた」、「どうして学校に来ないのと聞かれるのが嫌だった」ということです。
小2の子どもが疲れて学校に行けなくなるなんて、それだけのことがあったんだろうなと思います。

付き添い登校で1週間、小2の娘のクラスに入った私は、生徒のことを見る能力のない先生、ケンカが耐えなくいさかいごとが放置された教室、静寂というものがない授業を見て「こんなところ、私だって行きたくないわ」と思いました。

親の世代の学校と今の学校は全く違います。
ちょっと変わっていたり、内気だったりといろいろな個性があっても何となく過ごすことができた親世代の学校とは違い、みんなと違ったり空気を読めないとクラスから弾かれてしまうのです。
まだ心の育ち切っていない子どもにとって、それはどれだけつらいことかわかりません。


ましてやいじめを受けていたら、それがまた再開される休み明けなんて地獄でしかないでしょう。
子どもたちにとって、世界は家庭と学校が全てなのですから。

今、9月1日の自殺防止へ向けて取り組みが進んでいます。今日の夕刊の1面にも載っていました。
それくらい、今子どもたちは追い詰められています。

一番の居場所は家庭です。家で何も言われずに安心して休むことができたらどれだけ安心でしょう。
それがかなわなかったらうつむいて学校へ向かうか、街に逃げるしかないのです。


私が高校で不登校になったとき、家は厳格で休むとは言いだせなかったので、学校に行くふりをして自分で学校に電話をかけ、ファーストフード店や喫茶店、公園で過ごしていました。
楽しかったわけじゃありません。あの寄る辺ない気持ちは何とも言えないものでした。


逃げることは悪いことではないと思います。
つらい場所からは全力で逃げていい。それは大人も一緒です。
落ち着いたらどうしたいか、それはきっと答えが出るから。

無理はしないでください、無理させないでください。

<過去記事>
8月31日
新学期。学校へ行きたくないあなたへ2016

発達ナビコラム「アスペルガーでADHDの私が糖尿病で入院した話」

発達ナビにコラムが掲載されました。


litaliko0811

発達ナビ:本能の赴くまま食事をしてきたアスペルガーでADHDの私が糖尿病で入院した話


ブログにも書きましたが、長年の不養生がたたりついに糖尿病になってしまいました。
ある程度以上の糖尿病になると、みんな教育入院ということをします。
糖尿病について知ること、食事療法・運動療法のやり方を理解することが目的で、それまで好きなように食べてきた私のような人にはひもじくつらい生活になります。

私もブドウ糖を低血糖(血糖値が下がりすぎてひどいときは意識を失ったりする)予防のため売店で買ったのですが、ナースステーションで「心が低血糖やねん。ブドウ糖でいいからかじりたい。」と言っては笑われてました。

でもね、耐え切れずに売店で菓子パンやお菓子を買ってきて隠れ食いする人もいるんですよ。
「食後すぐに食べたら血糖値には影響せえへん」ってね。「いや、それで血糖値が上がらへんって逆に大丈夫か?」と心配になりましたが。
あと、血糖値の値に嘘を書く人もいたそうで、それからナースのチェックが厳しくなったそうです。ある程度下がらないと帰れませんからね。

昔と違って、いまは早い段階でインスリンを使って血糖値を下げて治療します。
「インスリンを打つようになったらおしまい」という時代は終わったんですよ。


ビックリしたのが、太っている人はむしろ少なく、ほっそりした人が多いことでした。
聞くと「体重が20キロ減って病院に行ったら即入院と言われた」というケースが多かったんです。
理由もなく10キロとか体重が減るようならお医者さんに行ってくださいね。

思い出作りって、やってあげなくてはいけないことですか?

リアルの知り合いやネットの知り合いで、不登校の子どもをお持ちの親御さんは、びっくりするほど子どもの思い出づくりに熱心です。

「学校に行く元気がないのにこんなに連れまわされて大丈夫かなぁ?」と心配になるくらい、休みごとに遊び場に連れて行ってもらってそれがフェイスブックにアップされていたり、逆に「どこにも連れて行ってあげられない」と思い詰めていたり。


気持ちはわかるんですよ。
うちも小2で不登校になってから、夏になったら「親子キャンプに行こう」と誘って連れて行ってました。でも、4年生からは「行きたくない」と拒否されるようになったんですけどね。
「学校に行ってない分、他の子より体験していることは少ないはず。せめて私が何とかしてあげられないだろうか」と考えていたのです。

娘の場合、そういう思い出作りに参加できたのは小3まででした。
夏休み明けから本格的に体調を崩し、昼夜逆転・引きこもり体制になってからは、すぐそばのスーパーにもついてこなくなりパソコンやゲームに夢中な日々。
「キャンプ?もうああいうのは行きたくない」
と言うようになりました。


今思えば娘は心も体も疲れ切っていたんですよね。
クーラーの効いた部屋で好きなことをして、ママの機嫌もよかったらそれで十分ハッピーだったのではないでしょうか。私の機嫌が悪くなることを何より恐れていたし、それは親の会で聞く当事者の若者も同じことを言ってました。
休み中は他の子どもたちも学校に行ってないので、親も「学校はどうしよう」と毎日考えなくてすむし、本人も「みんなも休みなんだ」と気が楽です。それだけで休みって価値があるんですよ。

思い出作りと言いますが、田舎に帰省することは学校に行ってない子どもと親には鬼門ともいえますし、誰でもお金をかけてテーマパークなどに遊びに行けるわけではありません。
うちは母子家庭でお金の余裕もないので、もし娘が元気で「ディ〇ニーランドに連れて行って」とねだられても無理です。

思い出作りは子どもが「行きたい」と積極的に望むなら、その家の経済事情に合わせてで十分じゃないかと思います。
一緒に家で過ごして生活していくだけでも、ささやかだけど大切な思い出は積み重なっていくんじゃないでしょうか。

子ども時代の思い出が少ないって嘆いているのは親だけかもしれませんよ。
思い出は与えられるものじゃないでしょう?

電車に乗れた!

私が退院してすぐに、娘の思春期外来の予約が入っていました。

何気なく「これ、りさも一緒に行って」というと、「え、私も!?」と嫌そうな反応。
でも、私の顔を見て「わかった。できるだけ頑張る」と言いました。どうも気を使わせてしまったようです。

電車を2本乗り継いで50分くらいかかるのですが、ずっと立っていたのがかえってよかったらしく、少し気分は悪くなったけど無事病院につくことができました。

「オシャレな待合やなぁ」とまんざらでもない様子。
先生はついに現れた娘を見てびっくりしてから、とても喜んでくれました。
突っ込んだことは何も聞かず、「ごめんな。お母ちゃんから勝手に聞いたんやけど、出かけるときにしんどくなるやって?その治療だけさせてくれるかな?」と娘に話しかけました。


娘を見ると、ハキハキ返事をしてなんと愛想笑いをしている!
今初めて気づいたけど、君、愛想笑いをするんだね?と驚きました。
満面の笑みではなく、固い半分くらいの笑みなんですが、「頑張ってあなたに向き合っています」「でもしんどいです」というのが表現された絶妙な表情だと思いました。

私は子どものころから家族の雰囲気がこれ以上悪くならないように、友達から嫌われないように、そしてどういう顔をして人と向き合えばいいのかわからないので、ニコニコと満面の笑みの仮面をピシッとつける癖がついてしまいました。
それより娘の愛想笑いの方が、本人は疲れるだろうけど等身大でいいなぁと思いました。


そして治療を了解した娘にはリーゼという軽い安定剤が頓服で出ました。
その日はそれでおしまい。
さっそく薬局で1錠飲んで帰りました。
効いたのかな?よくわかりませんでした。

発達障害を持つ人は薬への過敏性が強いといいますが、私や娘は逆で薬が効きにくいのです。
人それぞれですね。

とりあえず先生と面通しできたのと、電車に乗ることが成功したのがよかったと思いました。
Twitter プロフィール
42歳でアスペルガー、46歳で加えて注意欠陥障害と診断される。娘はアスペルガーで小2から中3まで不登校を通した末、今春から通信制サポート校に入学。「小学生で不登校!?」ってブログやってます。
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