4月2日は国連の定めた世界自閉症啓発デーです。
私と娘は自閉症の一種であるアスペルガー症候群です。
頑張っても何かとうまくいかない私が、頑張ることを止めないでいられるのは娘のおかげです。
私たちの物語、ちょっとお付き合いいただければ嬉しいです。
私たちは親子でアスペルガー
私と娘のりさ(4月に中2になります)は、二人ともアスペルガー症候群と診断されています。アスペルガー症候群というのは、脳の神経のどこかの発達がうまくいかなくておこるといわれています。
そのあたりは、まだ医学的にも分からないところがいっぱいあります。
当人も親も何も悪くありません。
耳が聞こえないとか、目が見えないのと一緒で、生まれつきのものなのです。
知的障害もなく、言葉にも不自由がないけれど、「一般的な常識」や「暗黙の了解(空気を読むことかな)」を考えながら行動することが苦手で、社会の中で暮らしにくいと感じることがあります。
人とのかかわり方、コミュニケーションの取り方、想像力に独特の特徴があります。
娘は障害に苦しみ学校に行けなくなりました
娘が診断されたのは小学4年生のとき。小2の後半から不登校になって、小3の夏休み明けから全く学校に行かなくなり、4年生のときに受けた2回目の検査で診断が確定しました。(1回目は小2のとき)
この障害を持つ人は、学習障害をあわせ持っていることが多いです。
娘も計算が苦手で手を使って計算をしていることでいじめられ、学習するという行為が怖くなってしまい、勉強するとパニックを起こすようになりました。
集団の中でどのようにふるまえばいいのかもわかりにくいです。
ルールにこだわり、先生のいうことをちゃんと聞こうとするのですが、そのせいでクラスから浮いてしまったり、ルールが理解できないと「できない自分」が許せなく、学校に行くこともつらくなってしまうのです。
そんな娘の苦しみを理解しないまま、私はいろいろな手段で娘を学校に行かそうとしてしまいました。
そして、娘は力尽き体を壊して笑顔も失い、最後には「こんなところの敷地は二度と踏みたくないわ!」と学校に別れを告げました。
その言葉で、やっと私はどれだけ娘が苦しんできたのか、ストンと腑に落ちるように理解したのです。
娘の診断がきっかけで自分の障害に気づきました
娘にアスペルガーの診断が出て、その特徴を医師から説明してもらって、「ああ、そういうことだったのか」と納得できました。今まで理解できなかった彼女の行動も、理由がわかると腹も立たなくなりました。
それから1年後、私はコンビニでバイトしていました。
そこで、言葉で次々に指示されても頭が混乱して覚えられない、レジをしながらおでんと揚げ物を作り、検品や品出しをするという同時進行作業がうまくできずにオタオタする、騒がしいところで話しかけられても聴き取ることができないといった問題がでてきて、だんだん私は追い詰められていきました。
そんなときです。
「ひょっとしたら私も娘と同じアスペルガーじゃないか?」
パッとそう思い浮かびました。
さっそく検査を受けると、見事に同じアスペルガーと診断が出ました。
診断を受けて説明を受けると、自分が長年仕事が続かず失敗続きで、学校時代もつらかったことが次々とよみがえりました。
そして、娘が味わっただろう苦しみがリアルに理解できたのです。
でも、もっと私を理解し支えてくれたのは娘の方でした。
娘が誰よりも理解し、支えてくれる
自分が診断を受けて、「大人のアスペルガー」という本を無造作に置いていると、娘が真っ青な顔をして「ママ、メンヘラちゃんなの?手首切ったりしてない?」といってきたのです。ものすごく誤解していますね。そう、私はいまだに娘に告知していません。
そのとき、はじめて「アスペルガーってこんな障害なんだよ」と説明しました。
それから娘は変わりました。
私が仕事でまたうまくいかなくて悩んでいると、「つらかったら休んでいいんだよ。本当につらかったら辞めたらいいよ」といってくれるようになりました。
料理しているときパニクっていると、「ママ、一つずつやった方がいいよ」とアドバイスしてくれます。
一番身近で、同じ障害を持つ娘が私を守ってくれる。
それは私に大きな力を与えてくれました。
アスペルガーの先輩として、障害者手帳を取ったり、就労支援に行ったりと積極的な生き方をして行こう、その背中を見てもらおうと頑張れているのは娘のおかげです。
りさ、ありがとう。