小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~

小学校2年生で不登校になり、3年生で支援学校に一時転籍、そこでひどい体験をして元の学校に籍は戻ったものの、それっきり一度も登校していない娘(現在中3)と、42歳にして娘とともにアスペルガー症候群と診断、46歳でADD(注意欠陥障害)も加わった母の道のり。

2013年10月

パイナップルの絵

先日、担任の先生が来て、なんとパイナップル持参。

何かと思えば、図工の時間に書く絵をりさにも書かないかとのお誘い。

先生は最小限しか口出しをしなかったので、真剣モードでりさはパイナップルの絵を書いていました。

そして、先生はもう一枚の画用紙に机と窓の絵を書いて、「りさちゃん、これも書いて欲しいんだけど」。

「あ、教室で書いてるから机と窓がいるんだ」と私は思いましたが、黙って見ていました。

先生は、「色を塗ったらお母さん、学校に持ってきてもらえますか?」というので、とりあえずOK。

色塗りは絵の具でと言われたんだけど、りさは「絵の具は嫌!色鉛筆がいい」。
先生は快くOKしてくれました。

うれしいのは、パイナップルを書き終わったら丸ごと食べていいということ!


先生が帰ってから、その日は書かなかったりさ。

次の日も「もうすぐ書くからね」といいつつ、なかなか書かない。

ついに書き出したのですが、パイナップルはもう見事な出来栄えなんですが、机と窓は超適当。
色塗りも机に乱暴にぐちゃぐちゃと塗って、窓の外は塗らないで、おしまい。

だけど、これがりさの精一杯なんだなぁと思いました。

「よく頑張ったなぁ。冷やして食べような」 
というと嬉しそうに笑ったのでした。とても美味しゅうございました。

ふと、「りさ~、絵書くのどうだった」と聞くと、「しんどかった」。
やっぱり課題は嫌なんだなと納得。


今日、学校に絵を持っていくと、先生たちは大喜び。
「上手やわぁ」「すごいなぁ」
と言ってくれました。

だけど、ある先生がぐちゃぐちゃの机を見て、「これ、筆で塗ったらキレイになるんじゃない?」って。

私は、「このぐちゃぐちゃも含めて今のりさですから」とお断りしておきました。

りさは机と窓の意味はわからないと言いました。
だけど、きっと何か感じていたはず。

それをぐちゃぐちゃに塗ったその気持ちも受け取って欲しい。

家族と境界線について

人と人との関係の間には、必ず境界線があります。

これは私の問題、それはあなたの問題というふうに、自分と相手のあいだにしっかり線引きをして、自分も相手も守ることです。

例えば、母親が子どもに「私がイライラするのは、あなたがしっかりしてないせいよ」
といったとします。

これはよく考えるとおかしいことです。

母親の「イライラする」という気持ちは、母親のものであって、ほかの誰のものでもありません。
「子どもがしっかりしていない」というのは、母親の問題ではありません。
母親がそう感じているだけで、本当はそうではないかもしれないし、もしそうでもそれは子ども自身の問題です。
子どもが「自分はしっかりしてないな」と本当に思うのなら、それは子どもが自分で解決する問題なんです。

あなたのことで、誰かが不機嫌になってもそれはあなたのせいではありません。(子どもの人権に関しての書籍より)

だけど、家族という関係の中では、その境界線が破られたり、曖昧になってしまうことがよくあります。


家族というのは役割意識に縛られています。

例えば妻48歳、夫50歳、長男18歳、長女14歳、次女11歳の家族があったとします。

それぞれの役割はなんでしょう。これは昔私が課題を与えられて考えたものです。


母親は、家事をする、子どもや夫の相談相手になる、子どもの世話をする、家族のムードメーカーになる、外で働く、自分の実家との調整役になる(不必要な介入から自分の家族を守る)など。

父親は、収入を得る、家長としての役割を果たす、子どもの遊び相手をする、家庭内での最終決定をするなど。

長男は、家長の代理、兄妹の相談役、兄妹の面倒を見る、兄妹の模範となる、勉強をするなど。

上の妹は兄妹の調整役、相談役、いじめられ役、姉としての特権、妹として兄にモノや愛情を取られる、母の代理など。

末の妹は要領の良さ、ムードメーカー、かわいい、あどけない、手がかからない、兄や姉からのプレッシャーを受ける、末っ子ならではの期待を受ける、母の代理など


でも、これって本当にそうなのでしょうか?

「~しなければならない」が強いと家族は役割に合わせようとしてがんじがらめになってしまいます。
例えば、父親が不在になると、みんなが長男を頼って長男の子どもとしての領域を犯してしまったりします。

役割という名のもとに境界線を犯していることがすごく多いのです。

心理士はカウンセリングを始めるとき、境界線をはっきり持ってもらうことから手をつけます。
それからじゃないと始められないことが多いのです。


私も長い間カウンセリングを受けていますが、境界線を引くのがとても苦手です。

「あんたのせいで私の人生が狂った」と子どもに対して思っていました。

子どもの辛い気持ちを勝手に肩代わりしようとしてストレスを感じていました。

子どもの気持ちは子どものものなのに。

あなたはあなた、私は私とバチッと心の境界線を引いて接していきたいなぁと思います。

共感するのと、感情まで飲み込んでしまうのは違うと心に刻みこみながら。

大人と子どもでも、親子でも、お互いの人生はお互いのものだから。

空になりたい-保健室登校の生徒の詩集-

今日は、不登校を克服する会の集まりに行ってきました。

そこで素晴らしい詩集を講師の先生に紹介してもらいました。

岡山の養護教諭のサークル”いちごつなぎ”編集の「空になりたい-保健室登校の生徒の詩集-」です。

この本の詩は、岡山県の中学3年生の女の子が、保健室登校をしていたときに書いた詩です。

(養護教諭による前書きより)
・・・・・・その女の子は、6月の蒸し暑いある日、『先生、しんどい』と保健室を訪れた。登校すると下駄箱のシューズの中にイヤガラセの手紙が入っていたのだ。その日から毎日のように続く手紙にいったんは教室に行ってみるものの『人が怖い』 『もう誰も信じられない』と言って保健室で過ごした。保健室の片隅で体を硬くし涙を流し必死で自分と向き合い、自分自身と闘っていた。
 そんなある日、彼女は筆ペンを執って自分の気持ちを書き始めた。来る日も来る日もあふれるように思いが湧き出し、夏休みが続く頃には60篇を超えていた」・・・・・・

その後も書き続けて、詩は400篇をこえ、自費出版されることになりました。


講師の先生が紹介して欲しいと言っておられたので、少しだけ紹介させてもらいます。

ファイト

『がんばってんな』
『ファイト!!』
言われれば言われるほど、くるしい、つらい、しんどい
”少しだけ休ませてや”って思う。
『がんばる』ということが重い重いものになることを忘れないで欲しい。
全ての人が
『がんばれ』って言われて
『よっしゃー!!』ってがんばれないんだよ。
そういう時だってあるんだよ。
一人ひとり、その時、その時、
『がんばれ』の重さはぜんぶ違うんだよ。



無題

 
ごはんも のど とおらない時って
あるんだねぇー。
大好きな本も読めない時って
あるんだねぇー。
体が動かなくなる時って
あるんだねぇー。
まるで 心が
死んじゃったみたい。



保健室と先生たち

しんどい時、
助けてもらいたい時、
保健室に行きたいと思う。
少なくとも私は思う。
だけど、先生たちは
゛行きたい”という気持ちを
わかってくれないときがある。
先生たちの中には、
分かってくれない人がいる。
保健室へ行くということは、
ギューとしめつけられた
空気の中から解放される。
心が安らぐ。
きんちょうしない。
あったかくなる。

しかし先生たちは
 ”甘えてるヤツが行く所”
とか
 ”甘い考えだ”とか思って
いるようだ。
私自身が保健室に行ってい
る時、ある先生は
 ”またか”と言う。
しかたないんだよ、授業に
出るのがつらいんだもん、
苦しいんだもん。
甘えてるかもしれない、
だけど心は大切だよ。
 ”またか”なんて言わない
で。
大切な、大切な、わたしの心だ
から。


講師の先生は、大学で教師になりたい学生に講義をしているのですが、この詩集の一部をコピーして感想文を書いてもらうそうです。

これ、自分の子供にも、学校の先生にも読んでもらいたいです。

りさ2年生 2学期 10月

今日は、りさが2年生の10月の様子を書いてみようと思います。


ちょうど3年前か~。


運動会には元気に参加。ダンス楽しそう。でもポンポン落としたら固まって復帰に時間がかかっていた。

かけっこでは「ママ~♪」と手を振ってビリでゴール。

大玉転がしではゲラゲラ笑いながら楽しそう。


学校が面白くない気持ちを「死にたい」と訴えてくる。

勉強のことで、班の子に手で計算することを怒られて、班の子に迷惑をかけていると思っている様子。


病院の心理士の先生に、「主治医の先生に学校にあてて意見書を書いてもらったほうがいいと思う」と言われる。

確かに担任はりさのこと全く理解できてないみたいだし。

りさは宿題するとイヤなことをワーッと思い出して、頭がガンガンになってしんどいという。

連絡帳にそのことを書いて、宿題はさせなかった。


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<いじめのこと>

クラスメイトでりさをいじめてる子がいて、そのことを連絡帳に書くと、先生から電話がかかってきて「話し合って両方謝りましたので」だって。

りさに聞いたら、「納得できなかったけど、どう言えばいいのかわからなくて、言ったら先生に悪いと思って言わなかった」とのこと。


そういえば、保育所の頃から、先生を困らせたらあかん、先生の邪魔したらあかんと思っているような子だったからなぁ。



1年の時から、学校でいじめられてくるたびに、先生は「本人たちに話し合いさせました」と返事してきたけど、本当に何が起こっているのか事実関係を把握するには、当人たち一人ひとりに話を聞いた上に、周りのこの話を聞いて、紙に書いてまとめて矛盾点があればまた丁寧に探っていくという大変な手間がかかります。

また、こうした手間をかけなければ話を聞いたことにはなりません。

上っ面の言い分だけ聞いて、「みんなが悪いね、お互いにあやまろうね」なんてことをやっても、本人たちは言いたいことも言えてないし、本当の被害者がいた場合、対策を取ることもできません。

余計お互いイライラするだけだと思います。


先生には、こういう手間ひまかかることをする時間がないのでしょう。

だけど、それがいじめや感情のこじれを生んでいくのだと思います。

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学校に、「不登校や心の問題について相談できる窓口はないんですか?」ときいたら、校区内の中学にはスクールカウンセラーがいるけど、小学校では管理職(校長、教頭)、学年の担任みんなで取り組むという回答があった。後日、診断書と意見書を持って行って話し合いすることになった。


この月は、私が手術のため1週間入院しました。


りさは学校を3日欠席しました。



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Twitter プロフィール
42歳でアスペルガー、46歳で加えて注意欠陥障害と診断される。娘はアスペルガーで小2から中3まで不登校を通した末、今春から通信制サポート校に入学。「小学生で不登校!?」ってブログやってます。
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