小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~

小学校2年生で不登校になり、3年生で支援学校に一時転籍、そこでひどい体験をして元の学校に籍は戻ったものの、それっきり一度も登校していない娘(現在中3)と、42歳にして娘とともにアスペルガー症候群と診断、46歳でADD(注意欠陥障害)も加わった母の道のり。

自分の親が一番のストレスかもしれない

うちの母親は70を超えていて、2年前に父が亡くなってから一人で実家に暮らしています。

おじいちゃん、おばあちゃんといえば、もううちの母しかいません。

だけどね、この母がりさが不登校になってからなんやかんやと口出ししてくるのですよ。

「転校したら行けるかも」
「山村留学はどう?」

あまりにひどいので、私がまいってしまいずいぶん距離を置いたこともあります。

そうしたら電話をかけてきたり、おかずをもって家まで押しかけてきたりするんですよね。

なにも、りさのことを責めるために来るわけではありませんが、話題がどうしてもそっちへ寄って行ってしまうのです。

そして、いくら説明しても分からないから、「理解できないのならほっておいて」というと、「どうせ私にはあんたの考えてることは分かりませんよ」と拗ねるのです。


今日、またりさにやつあたりしてしまって(頭の片隅でわかっているのに止められない)、「ごめんな。またやってしまったな。」というと、「ええよ」と流してくれたのです。

つらいだろうにな。

で、考えてみると自分の母親にチクチクといろいろなことを言われたあと、自分の精神状態が悪くなることに気づきました。

「また言ってるわ」と流せたらいいんですけどね。


最近、あちこちを傷めたりして助けに行かなければならないことも多く、なかなか距離を置くことが難しくなってきました。

だけど自分たちの生活を守るために、親はもう変えられないから、自分が「ああ、嫌なことを言われて腹が立っているな」という気持ちを自分で受け入れて、消化していこうかなと思っています。

何よりも守らなければいけないのは、りさと自分。

それは自分のスタンスとしてはっきり持っていきます。

子どもが学校に行かなくなった親御さんへ

このブログをはじめてから、コメント欄によく子どもたちが自分の悩みを書き込んでくれるようになりました。



学校へ行きたくないのに、無理やり連れていかれる。

どうしたらいいのかわからない。

毎日布団で泣いている。



学校の先生が家に訪ねてくるのがとても苦痛でつらい。

だけど、お母さんは「会いなさい」というし、先生も部屋に入ってくる。

いやでたまらないけど、逃げるところもない。



今はしょうがないから保健室登校している。

本当は行きたくないのに。



いつも、なんて答えてあげたらいいのだろうと、本当に悩みます。


だけど、せっかく書き込んでくれた子どもたちに何とか苦しみから脱してほしいと願います。


「一度、自分の気持ちを親御さんに話してみてください」


とよく書きます。



だけど、本人もそういう状態の時はすごく混乱しているので、なかなか順序立てて話すことは難しいと思います。


また、親のほうも聞いていて、つい 「そんなこというけど・・・」 「気にしすぎじゃない」などなど、ついつい自分の意見を口に出してしまい、子どもの口を遮ってしまいがちです。


もし、話してくれたら、それはすごいことですので、黙って最後まで話を聞いてあげてほしいと思います。



そして、子どもが本気で学校に行きたくないというのはよっぽどのことです。


それまでに十分つらい気持ちをため込んで、我慢して我慢してとうとう限界にきてからの「行きたくない」なんです。


そうじゃなかったら、2,3日休んだらケロッとしてまた学校へ行ってしまいます。



今の学校は親の世代とは全く違います。

先生も全く余裕がなく、生徒の問題をちゃんと把握していることはほとんどありません。


子どもたちも、先生や親の影響を受けて小学校低学年のころから、「ふつうに勉強して普通にみんなに合わせられるのが当たり前」と思い込んでいて、それからはみ出す子は容赦なくいじめられます。


止めてくれる子なんていないのです。もちろん先生も。



親の「学校に行きたくない」と言われた時のショックと不安はよく私も分かります。

周りからのプレッシャー、学校からのプレッシャーも本当につらいものです。


だけど、子どもは最後に親を頼ります。

そんな時に親にまではねつけられたら、子どもたちはどうすればいいのでしょう?



学校に相談しても、学校へ行けない子供の気持ちを理解している先生はめったにいません。

「頑張って来たら何とかなる」と言われることがほとんどです。


だけど、私の子どもも含めて、その通りにしようとして最後には苦しさのあまり外へも出られなくなる子のどれだけ多いことか。


うちの子は、学校へ行きたくない理由を初めて話したのは、学校へ行かなくなってから2年以上たってからでした。


知っている子は 「自分でも当時は分からなかった。いま30を超えてやっとわかってきたような気がする。」と言っています。



学校を休んで「楽しい」と思っている子はほとんどいません。

自分が学校へ行けないということを気に病んで、自分を責めて、それでも動けなくて苦しんでいます。



できることならば、以下のページを読んでみてください。


http://1st.geocities.jp/henohenomohehe/   不登校・登校拒否になったら


そして、子どもの食欲、眠れているか、顔つき、話し方をよく見てあげてください。



私も、自分の子ども追いつめて、追いつめて、心も体もボロボロにさせてしまいました。


人のことなんて言えないのは分かっています。



だけど、どうか、親にも言えずにネットのどこかで助けを求めている子どもたちがたくさんいることを忘れないでいてほしいのです。

りさ 3年生5月 支援学校に転籍する

これから書くのは3年前のりさの姿です。


不登校の経緯というカテゴリにまとめてありますので、初めて読まれる方はそこにある記事を読んでいただけるとわかりやすいかと思います。



このころ、りさが言っていたこと。


「不登校児かって大変やねんで。しんどいし、心許せる人としかよう会わんねん。


家におっても時々しんどくなったり、お腹が痛くなる。」




そういったりしながら、登校はせずに放課後や土日に友達とよく遊んでいました。


また、先生が一番仲のいい友達にプリントを託してきたので、そのついでに遊ぶことも多かったです。


でも、うちの家は校区の一番端で遠く、来てもらうのも大変だし、そのあと遊ぶわけですから、その子のお母さんとしては「困ったなぁ」という気持ちだったのだろうなと、今では思います。



また、りさが元同級生の男の子に「お前の名前忘れた」といわれて、その子のことを蹴りまわすということもありました。


悔しかった。



私は、このあたりから本当に参ってきていました。


「死にたい」とよく考え、死ぬシーンやそのあとのことをぼんやり考えることが多くなってきました。


そして逃げるようにゲームにはまっていきました。



りさに、「ゲームの世界はだれも私を責めないから好き」というと、「りさがいなかったらいいねん。りさがこんなだからママ、おばあちゃんや近所の人にいろいろ言われるねん」と返してきました。


「りさもママも悪くないよ」と言い聞かせました。



だけど、いろいろな人にいろんなことを言われ、仕事はクビになってから新しいのも探すこともできないし、つらそうなりさとずっと顔を突き合わせているうちに、精神的に追い込まれてしまったのです。



病院で、りさの主治医に「この頃本気で死ぬ気はないけど、死にたいってよく考える」というと、一時保護を利用して離れる案と、支援学校の院内学級の支援を受けるために入院するという案を出してきました。



一時保護だけは嫌だったので、もう一つの案を選び、翌週から入院することになりました。



ここで、大阪府の支援学校の制度について説明したいと思います。


この支援学校は病気の子どもを対象としていて、府内に3校あり、南部、市内、北部のどこに住んでいるかで自動的に学校は決まります。


その中で訪問教育というのは、院内学級がない病院に入院している子や、自宅療養していて学校に通えない子(その中に不登校児もいれているようです)のもとに、支援学校の先生が週3回1回2時間訪問して、勉強を教える制度です。


この制度を受けるためには、入院している事実と、支援学校に転籍(つまり転校すること)することが必要です。


費用は無料です。



りさの場合、原籍校から籍は抜けましたが、いつか復帰することが前提なので、転校したことは教員にしか知らされず、当番表や名札などすべてそのままの状態になっていました。


支援学校の場合は、そうすることが多いのかなと思います。



次回から、支援学校に転籍してどうなっていったか、不登校の経緯には投稿していきます。




りさ3年生 支援学校①→










Twitter プロフィール
42歳でアスペルガー、46歳で加えて注意欠陥障害と診断される。娘はアスペルガーで小2から中3まで不登校を通した末、今春から通信制サポート校に入学。「小学生で不登校!?」ってブログやってます。
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